白人の記録を破らないように脅迫され… 黒人差別と闘い本塁打記録を打ち立てたハンク・アーロン(小林信也)
ハンク・アーロンと王貞治のホームラン競争は1974年11月2日、秋晴れの後楽園球場で行われた。雪国の高校3年生だった私は、この“夢の対決”を幸運にも一塁側上段から目撃した。
甲子園出場の夢破れ、半月前の長嶋引退に触発され、「大学でも野球をやろう」と決意した。急きょ変更した志望校を見るため上京した旅で、痛烈に“世界のレベル”を見せつけられた。
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王のホームランは、優雅に高い弧を描いてライトスタンドに舞い降りる。アーロンの打球は全然違った。硬球がゴルフ・ボールに見えた。弾かれてレフトに向かった打球はスタンドのアーチに沿ってホップし、最上段の看板に当たった。看板がなければ滑走路を飛び発ったジェット機がそのまま空の彼方に消えて行くような勢いに、私には見えた。
ホームラン競争は、10本対9本でアーロンが勝った。王の打球がファウルに判定された。それがなければ11本で王が勝っていたと悔しがるファンがいる。だが私にその記憶は薄い。アーロンの打球の衝撃だけが身体に刻まれている。だから、王が756本を打った時、“ハンク・アーロンを超えた”とは思わなかった。あの日、アーロンのケタ違いの弾道を見てしまったからだ。
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