石橋正二郎 ブリヂストン創業秘話 地下足袋屋はなぜ自動車タイヤの製造を始めたのか

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 新型コロナウイルスの影響で、大学生の困窮が深まっている。その影響で、経済援助を目的とした公的な奨学金とは違った、篤志家や企業が専門的分野の若手育成を目的に立ち上げた民間の奨学金制度が見直されている(敬称略)

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《「経済的に苦しく、休学を考えていました」。一般財団法人「人間塾」(東京・千代田)が9月12日に奨学生向けに開いたオンライン会合で、北陸地方の国立大医学部6年の男子学生(25)は感謝の言葉を伝えた》

《同塾はブリヂストン創業者の石橋正二郎の孫、井上和子さんの私財を元に2011年から大学生に奨学金給付や研修活動を行う。7月、コロナ禍での医療支援につながればと、医学生を対象に緊急で一律100万円の支援金給付を発表した。230人が応募し、90人が奨学生に選ばれた》

《この男子学生は母子家庭で育ち、飲食店や家庭教師のアルバイトと日本学生支援機構(JASSO)の貸与奨学金で学費と生活費を工面してきた。コロナ禍でバイトが減り、貯金を取り崩しながら6年に進級したが行き詰まっていた》(日本経済新聞・電子版・9月29日付)

 井上和子の学業支援は祖父・石橋正二郎から受け継いだ遺伝子だった。

 学業支援は、正二郎の人生を貫いていた太い柱である。

 秀才だった正二郎は、福岡県久留米市の久留米商業学校(現・市立久留米商業高校)に在学中、神戸高商(現・神戸大学)の校長の講演に感激して進学を希望する。

学業支援に足跡

《ところが、父から「心臓病をわずらっているので引退したいと思っている。兄一人では心細いからあきらめてくれ」と言われ断念した。親友で政治家になった石井光次郎が神戸高商に入学し「私はうらやましく思った」》と書いている(『20世紀日本の経済人』日経ビジネス人文庫「私の歩み」)。

 進学を諦めた無念から、正二郎は教育の支援に強い関心を持ったようである。1928(昭和3)年、39歳の時の九州医学専門学校(現・久留米大学医学部)創設の支援が端緒となった。

 当時、文部省(現・文部科学省)が全国に医学部専門学校の新設を決定し、九州各地で誘致合戦が始まった。郷里・久留米市の市長と市議会から、「学校用地と校舎を寄付する条件で申し込めば競争に勝てる」と懇請された正二郎は、全額寄付を即決。経営する日本足袋会社を通じて、学校用地1万坪(約33000平方メートル)と、当時としては斬新なコンクリート建築の校舎を寄贈した。

 戦後、商学部と附設高校開設のための土地と建物をブリヂストンが寄付し、同校は久留米大学に発展した。附設高校は九州一の進学校となり、ソフトバンクグループの孫正義、ライブドアの“ホリエモン”こと堀江貴文が通ったことで知られる。

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