【袴田事件と世界一の姉】味噌タンクに「5点の衣類」を放り込んだ警察の大胆な捏造工作

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愛されキャラ

「裁判のことはね、弁護士さんたちにお任せしてるんです。私の役目は巖をしっかりと守ることなんですよ」と常々語るひで子さん。支援者らが毎日訪れる自宅には、笑いが溢れている。当の巌さんは、地元浜松市の支援者による「見守り隊」(猪野待子隊長)に見守られて、毎日のように散歩に出かけている。

 おっとりした巖さんは「愛されキャラ」なのだ。「拘禁症」の影響で少ない会話もかなり頓珍漢だが、ひで子さんは「巖が出所した頃は、そのうち回復するって言ってくれる人もいたけど、私はそうは思わなかった。そんな簡単に治るはずもない。今さら精神科の医者になんか見せませんよ。心優しく、おとなしかった男が、国家の横暴でこうなってしまうということを世の中の人に見てもらいたいんですよ」と訴える。可能な限り弟を集会などに連れてゆき、頓珍漢でも好きに語らせる。それが彼女流の国家へのリベンジなのだ。

 しかし、生来が非常に明るいひで子さんとはいえ、これまで一貫して明るかったわけではない。「今みたいに私が明るく振る舞えるようになったのは、何といっても巖が(拘置所から)出てきてくれたからですよ。それまでは、支援者の人たちに講演なんか頼まれたり挨拶したりしても、話すことだけ話したら、あとはムスッと黙っていましたね。申し訳なかったんだけど、きっとおっかない顔してたと思いますよ」と打ち明ける。

 無罪が確定していない死刑囚が市中に普通に暮らしている状況は、世界でも例がない。巖さんは「死刑囚から元死刑囚」に、ひで子さんにとっては「死刑囚の姉から元死刑囚の姉」になるべく、戦いの旅も終幕に近づく。

【註釈】一般に「袴田事件」と呼ばれるが、殺人・放火事件そのものなら、袴田巌さんは無関係だから、本来は「清水事件」などと呼称されるべきだろう。とはいえ、有名な冤罪事件でも、財田川事件、島田事件、足利事件、布川事件などは川の名前や地名が冠される一方、梅田事件は冤罪被害者の名が冠されるなど名称はまちまちだ。免田事件は地名でもあり人名でもある。この連載では「袴田事件」と呼称させていただく。冤罪事件という意味での「事件」である。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

2021年10月26日掲載

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