ある日突然「不倫相手」を喪ったアラフィフ男の涙 死後、彼女の携帯から着信が

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バレずに14年、ある時LINEが既読にならず

 誰にもバレずに14年。家庭優先で無理せず、会えないときでも連絡だけは取り合おう。ふたりの決め事はそれだけだった。携帯電話がスマホになり、連絡を取り合うことがたやすくなった。

「つきあって10年を過ぎたころ、お互いの子どもたちが成人したら、一緒になる方法を考えてもいいんじゃないかと話したこともあります。亜由美との老後はあまり想像できないのに、絵美との老後は想像できた。それがうれしいようなせつないような。絵美と過ごしていると、楽しいのにせつなくなる。だから一緒になろう、と伝えたんです。『そんな日が本当に来たらうれしくて逆立ちしちゃう』と彼女は笑っていました」

 もうひとつ、将太さんには夢があった。絵美さんとの旅行である。外泊さえしたことがなかったが、「一泊旅行」くらい、周到に準備すればできるのではないかと思うようになったのだ。

「僕は大学を東京で過ごしたので、同窓会という名目は作れる。絵美も東京に親しい友人がいるという。じゃあ、ふたりで東京に行こう、と。2年前のお盆休みに決行しました。人が多いから地元から時間差で出発、東京駅から離れた新宿で待ち合わせて。東京では歌舞伎を観たり寄席に行ったりと、ふたりでエンタメを思い切り楽しみました」

 夜は一睡もせずに愛し合った。翌日は朝から行きたかった浅草や上野などで下町文化を堪能したという。

「帰りの新幹線も別々にしました。そういうところが寂しかったけど、しかたがない。別れ際、次の週に会う約束をして東京駅の近くで別れたんです」

 帰宅してからも毎日連絡はとりあっていた。そして「今日の午後は絵美に会える」と思いながら出社し、『いつもの場所でね』とLINEをしたのだが返事がない。既読にもならない。おかしいと思っているうちに、絵美さんが早朝、自宅で倒れて病院に運ばれたと社内で話題になっていた。

「膝がガクガク震えました。昔、上の子がサッカーの練習中に怪我して運ばれたと連絡があったときも震えましたが、それ以上の衝撃だった。どうしたらいいかわからなくて、託児所へ駆け込んで、彼女の同僚の保育士さんたちに聞いたら本当だという。でも詳細は誰も知らないんですよ。帰宅してから、妻にそのことを言ったら『え、そうだったの? 今日はずっと外回りだったから知らなかった』と。こんな重要なことをどうして知らないんだと怒りそうになりましたが、妻には関係がないんだと思い直して……。とにかく、あの日は祈ることしかできなかった」

 翌日、絵美さんが亡くなったと会社に知らせが入った。自宅に飛んで行きたいが、そうもいかない。何もできない立場なのだと改めて思い知らされたようなものだった。

「お通夜とお葬式についての連絡がありました。長年、託児所を利用していたので僕が行っても不審がられることはないと思ったけど、結局、行けなかった。彼女がもういないと認めたくなかったんです」

 託児所も会社も、翌日は何事もなかったかのように動いている。当然のことではあるが、将太さんは誰にも言えない分、心が沈んでいった。

「その後、どうやって日常を過ごしていたのか、あまり覚えていないんです。ただ、妻に『最近、疲れてるみたい。大丈夫?』と言われたのは記憶にあります」

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