小児ホスピスの奇跡 コロナ禍で命限られた子供ためにやった新たな取り組み【石井光太】

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小学生の姉が一人取り残されて

 また、在宅で最期を迎えた子供もいた。悪性腫瘍を抱える五歳の女の子だ。

 彼女は大阪の病院で治療を受けていたものの、回復の見込みがなくなり、他県の家に戻っていた。家では、親が必死になって最期が迫る娘の介護をしていたことで、小学生の姉が一人取り残されてしまっていた。親が看病にかかりきりになり、きょうだいが孤立することは珍しくない。

 以前なら、距離が離れていたことから、スタッフにできることは限られていただろう。だが、オンラインツールを利用することで姉に声を掛けることができるようになった。親が看病に当たっている間、代わりにスタッフが姉とおしゃべりをしたり、クイズを出し合ったりしたのだ。

 信頼できる大人が自分のことを気にかけてくれて連絡をくれる。姉にしてみれば、どれほど心強かったことだろう。これもまた、オンライン時代ならではの新たな支援の方法だ。

「支援の幅を広げることができた」

 市川は言う。

「これまで私たちは素晴らしいホスピスの建物があるからこそ、そこを利用してもらうことにばかり力を入れてきました。でも、コロナ禍でオンラインのツールが広まったことで、これだけ支援の幅を広げることができるんだと気がついたのです。コロナ禍は大変ですが、前向きに捉えれば、新しい支援の方法に気づかせてくれたと言えると思います」

 TSURUMIこどもホスピスの建物は、難病の子供にとってはこれ以上ないというほど安心と喜びに満ちた空間だ。ここに来さえすれば、どんな夢だって叶えることができるように思える。

 ただ、状況によって、常に行ける場所というわけではない。ホスピスで遊べなくても、スタッフと言葉を交わしたい、病院のベッドでおしゃべりをしたい。そう願う子もたくさんいる。

 コロナ禍は、そんな子供たちへの新しい支援のあり方を気づかせてくれた。それがホスピスが目指す、子供たちの人生を輝かせることへのエンジンとなるのは確かだ。

 もっとも弱い立場にある人たちを支えられる社会資源がどれだけあるか。それが豊かな社会か、そうでない社会かを分ける指標ではないだろうか。

 ホスピスは一般の人々からの支援によって成り立っている民間の施設だ。それがコロナ禍においても、難病の子供とその家族に大きな役割を果たしていたことを、同じ日本人として誇りに思いたい。

石井光太
1977(昭和52)年、東京生れ。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。ノンフィクション作品に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『「鬼畜」の家』『43回の殺意』『本当の貧困の話をしよう』『近親殺人』など多数。また、小説や児童書も手掛けている。文中でも紹介した『こどもホスピスの奇跡』は第20回新潮ドキュメント賞を受賞。

デイリー新潮取材班編集

2021年9月29日掲載

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