裸足で五輪を獲った「アベベ・ビキラ」伝説 アフリカ選手初の金メダルの裏側(小林信也)

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足の裏に驚き

 レースを前に、アベベが直面していた問題は「シューズをどうするか」だった。

 2011年に出版された『アベベ・ビキラ「裸足の哲人」の栄光と悲劇の生涯』(草思社)の中に、アベベの娘ツァガエの述懐がある。

〈持ち込んだシューズを履きつぶしたため、足に合うシューズを探しに父は買い物に出かけた。足になじませようと、レースの数日前から履きならしていたが、父の足はつま先が細くてほっそりしているため、シューズはどうしてもなじまない。それどころか、水ぶくれができて痛み出す〉

 結果、裸足で走る選択をした。普段は裸足で走っていたからアベベにとってはおかしな決断ではなかった。

 同書には、レースの朝、医師の診断を受けた際に一緒になったライバル、ラジの回想も紹介されている。

〈足を見てびっくりしたよ。分厚くて真っ黒で、石炭みたいな足の裏だった。みっちりしていて、軍用トラックのタイヤみたいに頑丈そうな皮だった〉

 アベベはレース前、自分をマラソンの道に誘い、指導してくれたスウェーデン人トレーナーのオンニ・ニスカネンから、マークすべき数名の選手の名前とゼッケンを教えられた。26番のラジもその中にいた。ところが、レースが始まると想定にはない185番のモロッコ選手とのデッドヒートになった。26番のラジは自分たちの前にいるのか? アベベはレース中ずっと混乱していた。真相がわかるのはレースの後だが、アベベが並走していた185番こそがラジだった。ラジは、2日前の1万メートルのレースでつけたナンバーをつけ替えるのを忘れていたのだ。

 残り2キロ。アベベがスパートをかけてラジを振り切り、そのままゴールに飛び込んだ。世界は、裸足の王者誕生に総立ちとなった。記録は2時間15分16秒2。アフリカ選手が史上初めてオリンピックの金メダルを獲得した瞬間だった。

 アベベは、差し出された毛布を、手を挙げて軽く断った。余裕はこの時も同じだった。しかしローマでは感情を抑えきれなかった。笑顔がこぼれ、そしてすぐ嗚咽に変わった。アベベの頬を涙が伝った。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。「ナンバー」編集部等を経て独立。『長島茂雄 夢をかなえたホームラン』『高校野球が危ない!』など著書多数。

週刊新潮 2021年7月15日号掲載

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