競輪、酒、ドヤ街、そして歌…フォーク・シンガー「友川カズキ」が語る川崎の姿

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客層が高齢化する競輪業界

 ただ、その“読者”もまた高齢化が進んでいる。

「競馬場にはまだファッション性があるのに、競輪場はネズミ色だったでしょう。その前に“ドブ”を付けてもいい」

 14年、川崎競輪場は駅周辺の再開発に合わせるようにリニューアルした。レストランや子ども用の遊び場などを備えた新たなスタンド(チケット購入や試合観戦をする建物)がつくられたものの、結局、客層は中高年が中心だ。一方で、タバコを吸える場所は少なくなるなど、ニーズを見誤っているのではないかという声もある。友川は煙を吐いて、言う。

「たばこ税だけで1日、2700万円が役所に入るっていうんだよ。それなのに、人非人扱い。本当だったらタバコに火を点けた瞬間、役所の人間は灰皿持って走ってこなくちゃいけない」

 競輪業界自体、客層の高齢化もあって、年々、衰退しているという。また、それは同時に日本の経済成長期を支えた肉体労働者たちの高齢化をも意味するだろう。友川は何杯目かの焼酎の水割りを飲み干しながら、競輪中継を見つめた。

老いゆくドヤ街と風俗街

 真新しいショッピングモールで消費を謳歌(おうか)している人々は、すぐそばに“ドヤ街”があることを知らない。15年5月、川崎駅東口側にある日進町の、もともとは、住居を持たない労働者のための安価な旅館として使われていた簡易宿泊所で火災が発生、11人が死亡、17人が重軽傷を負う惨事となった。そして、ほどなくして、被害者の多くがすでに高齢で働くことができなくなった生活保護受給者であり、現場ではそのような人々を大量に泊めようと違法建築が行われていたせいで、火の回りが早くなったことが判明する。

 ただ、その後、状況が改善したようには思えない。夕方、仕事が終わって簡易宿泊所に帰っていくのだろう、コンビニエンス・ストアの袋を下げた作業着姿の労働者がちらほらと歩いている日進町で話しかけた老人は、近所で起こった大火災を平然と振り返った。

「このへんは、毎晩のようにサイレンが鳴るからね。で、あの日はいつもより長いんで様子を見に行ってみたら、あららって」

 青森県八戸(はちのへ)市生まれの男性は65歳。全国の飯場を転々とし、5年ほど前に川崎へ流れ着いた。

「仕事はしてない。病院通ってるから、ほとんど断られちゃうのよ。でも、わかるんだ。オレも昔、人使ってたからさ。具合悪そうなヤツは帰すのよ。現場で倒れられても困るから」

 現在は生活保護を受給しながら、簡易宿泊所で暮らしているのだという。

「故郷に帰ったのは三陸の地震(94年)のときが最後だね。もう親もいないし、川崎が終(つい)の住処(すみか)かな」

「お得意様で一番上は80代」

 また、日進町の簡易宿泊所が建ち並ぶ区域からすぐ近くには南町の風俗街があるが、そちらも灯(あか)りはまばらでひと気がなく、なんとも寂し気な雰囲気が漂っていた。ましてや、“ちょんの間”となると風俗遺産とでもいっていいようなものになりつつある。33歳の従業員女性は語った。

「私は川崎の生まれで、吉原(よしわら)のソープランドで働いた後、AV女優になって、最近、こっちに戻ってきました。地元で働くのは避けてたんですけど、もう年だし、そんなことも言ってられないかなって」

 川崎のちょんの間は同地の労働者の欲望を受け止めてきたわけだが、摘発が繰り返され、今は高齢となった客を相手に細々と営業を続けるばかりだ。

「お客様は50代、60代の方が多いですね。私のお得意様で一番上は80代。でも、元気ですよ。週に2、3回は来て、ちゃんとすることはしていきます」

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