「はらぺこあおむし」騒動に見る“いいパロディ”と“悪いパロディ”(古市憲寿)

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 絵本『はらぺこあおむし』に小さな騒動が起こった。

 発端は「毎日新聞」の風刺漫画である。6月5日朝刊で「はらぺこIOC 食べまくる物語」と題した風刺漫画を掲載した。頭はバッハ会長らIOC幹部、体ははらぺこあおむしという生き物たちが、「放映権」と書かれたリンゴを貪り食っている。

 これに激怒したのが『はらぺこあおむし』の日本語版を出版する偕成社だ。今村正樹社長名義で、「強い違和感」「不適当」「猛省を求めたい」と「毎日新聞」を手厳しく批判した。今村社長曰く「表現の自由、風刺画の重要さを信じるがゆえにこうしたお粗末さを本当に残念に思います」。何もパロディが悪いわけではなく、「お粗末」なのが問題だ。出版社の社長らしく、「表現の自由」の重要性にも目配りした理知的な文章だと思う。

 ただ気になったのは、今村社長が『はらぺこあおむし』の「楽しさ」を、「あおむしのどこまでも健康的な食欲と、それに共感する子どもたち自身の『食べたい、成長したい』という欲求にある」と述べている点だ。

『はらぺこあおむし』ってそんな話でしたっけ。

 絵本を読み返してみると、主人公はえげつない量を食べている。「りんごひとつ」「なしふたつ」「すももみっつ」「いちごよっつ」「オレンジいつつ」「チョコレートケーキ」「アイスクリーム」「ピクルス」「チーズ」「サラミ」「ぺろぺろキャンディ」「さくらんぼパイ」「ソーセージ」「カップケーキ」「すいか」。どう考えても青虫としては食べ過ぎだ。

 案の定、主人公はお腹を壊す。結局「みどりのはっぱ」を食べて食欲が満たされ、蝶になるという物語だ。

 果たしてこれが「健康的な食欲」なのか。強欲の主人公が身の程をわきまえて腹痛が治まる話にも読める。その意味では、今の肥大化したIOCを風刺するにも適当な材料なのでは?

 もちろん物語の解釈にただ一つの正解を想定すべきではない。ただし亡くなった作者のエリック・カールさんはパロディに寛容だったとも聞く。事実、世界中で多くのパロディ絵本が出版されている。『THE VERY ANGRY PRESIDENT』など政治を風刺した作品も多い。ちなみにトランプ前大統領が反逆罪で逮捕されるというオチの絵本だ。

 パロディが表現の自由なら、その批判も自由である。その議論には意味がある。しかし過剰に「いいパロディ」と「悪いパロディ」を峻別しようとする態度は、結果的に表現の自由を狭めかねないと危惧もする。

 なぜなら国家による表現規制も、「誰が見てもこれは駄目」というものから始まるからだ。思い出すのは松文館事件である。2002年、成人漫画『蜜室』がわいせつ図画に当たると、作者らが逮捕された。その裁判で証言に立った漫画家のちばてつやさんは当該作品を「ほめられたものではない」としながらも、「わいせつな表現も許容するおおらかさが必要」と訴えた。

「悪いパロディ」を根絶したいという正義感もまた、腹痛を催させるような、強過ぎる食欲に思えてしまう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2021年7月8日号掲載

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