テルアビブ空港乱射事件から49年 元日本赤軍「岡本公三」容疑者の今

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映画の影響

 岡本容疑者は京大を諦め、鹿児島大学の農学部に進む。鹿児島県警も「よど号メンバーの弟」であることを把握しており、「鹿児島大学では最もマークすべき学生」と見なしていたという。

 岡本容疑者に転機が訪れたのは71年。故・若松孝二氏(1936~2012)と、先に触れた足立氏が共同で監督した、ドキュメンタリー映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」が鹿児島大学で上映されたのだ。この作品は、若松監督と足立監督がレバノンのベイルートに向かい、アラブゲリラの日常を撮影したもので、現在でも“伝説的ドキュメンタリー”として知られている。

 岡本容疑者は、この映画に強く共鳴し、上映運動を展開する「赤バス隊」に参加。72年には日本を出国してベイルートに渡り、自動小銃の射撃訓練を受けた。

 こうした経緯から岡本はテルアビブ空港乱射事件に参加した。裁判の結果、終身刑が確定するが、85年にイスラエルとパレスチナ解放人民戦線総司令部の捕虜交換で釈放。レバノンに戻った。レバノン政府は政治亡命を認める決定を下している。

 レバノンでの生活が始まると、日本人も支援団体を結成し、足立監督も今に至るまで定期的に連絡を取り続けてきた。また岡本容疑者自身も、2000年にはテレビ朝日 、03年と16年には共同通信、そして17年には毎日新聞の取材に応じた。

アラブの英雄

 それでは、足立監督のインタビュー内容をご紹介しよう。

「以前はスカイプで連絡を取り合っていたこともありましたが、最近は国際電話です。去年、公三さんが糖尿病を患ったことがあったんです。70代の糖尿病ということで、私も緊張した時期もありましたが、今はすっかり良くなりました。コーヒーの砂糖も禁止という徹底した食事療養が功を奏したんです」

 岡本容疑者が依然として“アラブの英雄”であることは間違いないという。

「現地の支援組織はパレスチナと、レバノンのものがあります。特にパレスチナ側が『岡本が死ぬまで面倒を見る』という姿勢を堅持しています。公三さんほど健康状態を入念にチェックされている人間は、世界広しといえども、そうはいないと思いますね」

 一方、統合失調症の治療については、現地の専門医から「病状の悪化を防ぐことはできても、完全に治ることはない」と釘を指されているという。

「イスラエルの拷問による心の傷は、僕らが治さなければならないと思っていた時期もありました。実際、日常生活では、病状が顔を覗かせることはありません。ただ、それこそ日本から取材の依頼があり、インタビューで当時のことを思い出したりすると、病状はすぐに悪化しました」

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