篠塚利夫「疑惑の本塁打騒動」、野茂交代で痛恨被弾…忘れがたき“開幕戦ホームラン”は

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「黙っていても出ちゃうんですよ」

 3月26日に開幕した2021年のプロ野球公式戦。開幕戦といえば、過去には、新シーズンの幕開けを華やかに彩った開幕戦ホームランも数多くあった。そんなファンの記憶に残るメモリアル弾を振り返ってみたい。

 歴代で最も多く開幕戦本塁打を記録したのは、長嶋茂雄(巨人)の10本(以下、門田博光の9本、山内一弘、衣笠祥雄、和田一浩の7本)である。プロ2年目の1959年に、前年4打数4三振に打ち取られた金田正一(国鉄)から第1号を放って以来、60年、63年(2本)、68年と本数を重ね、70年から現役最終年の74年まで5年連続で達成。長嶋本人も「出ちゃうんですよ、開幕は。黙っていても出ちゃうんですよ」(73年)と絶対の自信を持っていた。

 通算10号を記録した74年4月6日のヤクルト戦では、0対1の6回、1ボールから松岡弘の内角直球が高めに入ってくるところを見逃さず、ライナーで左翼席中段に叩き込んだ。長嶋の打席に合わせるかのように、左翼線に向かって“ホームラン風”が吹いていたのも、不思議なめぐり合わせだった。「ワーッ、やっちゃった!」と小学生のようにはしゃいだ長嶋は「5年連続?もちろん狙っていましたよ」と事もなげに言った。

 そんな強運の持ち主も、チームの開幕戦勝利には結びつかず、この日の引き分けも含めて、通算2勝6敗1分。だが、最終的に7回までが巨人の優勝に結びついたのも事実。「長嶋が開幕戦でホームランを打てば、巨人は優勝する」とイメージしたファンも多かったはずだ。開幕戦においても、長嶋は正真正銘の“記憶に残る男”だった。

「明らかにファウル」と抗議

 開幕試合で“疑惑の本塁打騒動”が勃発したのが、90年4月7日の巨人vsヤクルトだった。巨人打線はヤクルトの先発・内藤尚行を打ちあぐみ、1対3の劣勢で8回の攻撃を迎えた。

 事件が起きたのは、1死二塁、篠塚利夫が右翼ポールギリギリに飛球を打ち上げた直後だった。ファウルと思われた微妙な打球にもかかわらず、大里晴信一塁塁審は迷った末、右手をグルグル回した。

 ファウルを確信し、「ああ良かった」と安堵しかけた内藤は「えっ、何で?」と驚き、マウンドに両手を突いてうずくまった。テレビ中継のVTRでも、打球はポールの外側に落ちたように見えた。

 野村克也監督も「明らかにファウル」と抗議したが、受け入れられず、3対3の同点で試合再開。巨人が延長14回、4対3でサヨナラ勝ちした。

 セ・リーグでは同年から審判4人制が導入され、外野の2線審が廃止されたばかり。右翼への打球は一塁塁審が判定することになったが、開幕早々、“疑惑の判定”でミソをつけてしまったのは、皮肉としか言いようがなかった。

 開幕白星スタートで勢いに乗った巨人は、同年ぶっちぎりでリーグV2を達成。一方、ヤクルトも敗戦の教訓からルーキーの古田敦也が正捕手に抜擢されるなど、2年後の優勝に向けて、次々に布石が打たれていく。

 また、この日のヤクルトナインは、9回裏1死二塁のピンチに、巨人のドラ1ルーキー・大森剛のレフトへの打球を栗山英樹が体を張って好捕するなど、「あんなことがあったら、絶対負けられない」と闘志をあらわにしていた。納得できないホームラン判定が、負けることに慣れた万年Bクラスのチームを目覚めさせたのである。

 そして、大森も“幻の開幕デビュー戦サヨナラ打”が尾を引く形で、その後の野球人生が変わっていく。ひとつの事件から派生して、さまざまな人間ドラマが育まれていったのも、野球ならではの妙味と言えるだろう。

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