「田中真紀子」の迷走伝説を記した「外務省極秘資料」を入手!

国内 政治

  • ブックマーク

Advertisement

衝撃の指輪事件

 外相就任直後、米国のアーミテージ国務副長官との会談を直前でキャンセル。唯一の同盟国を蔑(ないがし)ろにする、外相としてはあってはならない蛮行だった。

 5月、成田空港で北朝鮮の金正男(キムジョンナム)を身柄拘束。拉致問題を抱える日本にとって、金の身柄を抑えておけば対北政策を有利に展開できる。最強の外交カードを手に入れたはずだった。しかし、

「パニックになった田中大臣は、机をバンバンと叩きながら、『大変なことになる。すぐに帰しなさい!』と外務官僚に命じた」(当時の外務省担当記者)

 田中によって、外務省ではなく外交が破壊され始めていた。文書にはその様子も綴られている。

〈その間、北朝鮮の金正男と思われる人物の出国問題、アーミテージ国務副長官との会見キャンセル問題等矢継ぎ早に田中大臣はトラブルを起こしていきましたが、基本的な関心は上納問題(機密費問題)へ集中する状況になってきました〉

〈(田中が)秘書官等を伴い会計課に乗り込んで、(機密費問題の)ファイルを見せるように要求するとの一幕もありました。また会計課長に秘書官を尾行につけさせたり、或いは連日上村秘書官の自宅に電話をするといったストーカーめいた行動も見られました〉

 常軌を逸した田中の行動により、ストレスに苛(さいな)まれた上村が吐血するに至ったのは有名な話である。

「すぐにパニックになる人でした」

 として、当時、田中の公設第1秘書を務めていた穂苅英嗣(ほかりひでつぐ)が振り返る。

「日頃から、彼女は全く連絡が取れない人でした。携帯電話に連絡してもまず出ない。急ぎの用件の時は本当に困りました。その年の9月11日、アメリカで同時多発テロが起きたのは日本時間夜10時のことでしたが、ニュースを観て急いで真紀子さんに電話をしても携帯は繋がらず、自宅の電話にも出ない。ようやく連絡が取れたのは次の日……。また、彼女は記者団にアメリカ国務省の避難先をポロっと漏らしてしまった。深く考えずに条件反射で話してしまったんでしょう。いつものことです」

 同年11月、今度はイランの外相との会談に田中は遅刻する。原因は「指輪」だった。会談直前、田中は上村の後任秘書官である上月(こうづき)豊久とこんな「珍騒動」を起こしている。ふたりのやり取りは外務省の廊下で繰り広げられたため、複数の関係者が目撃していた。

田中「いやだ。本当に知らないの? ないのよ。(ブレザーの)ポケットに入れてた指輪がないのよ。あなた、盗ったんじゃないの」

 部下を泥棒呼ばわり……。もはや外相としての資質以前に、田中の人間としての何かが問われる事態だった。

田中「ジェンセン(指輪のブランド名)よ。デンマークにパパ(夫の直紀)と行った時の思い出の品なのよ。ちょっとデパートに行って買ってきてちょうだい」

上月「どこに行けばいいんですか?」

田中「デパートよ、デパート、早く行ってよ。デパート、7時までやってるんだから。じゃなかったら、(イランの外相との会談に)行かないわよ」

上月「サイズは……」

田中「知らない。わからない。どうぞお出掛けください! そんなこと、あーだこーだ言っている間に、早く行ってくればいいじゃない」

 支離滅裂、滅茶苦茶、じゃじゃ馬を通り越した単なる駄々っ子。

 人気者であることだけを理由に田中を外相に就(つ)けたことの弊害は明白だった。ポピュリズムが頂点に達し、日本外交は底に沈んだ。しかし小泉は、「生みの母」であり、「世間受け」する田中を斬ることがなかなかできなかった。

〈ヴィシー派〉の罪

 ようやく小泉が決断したのは翌02年1月。田中と、当時の外務次官の野上義二、そして田中と対立していた衆院議運委員長の鈴木宗男、全員を役職から退かせる「三方一両損」で決着を図る。小泉が田中更迭に踏み切るまでの9カ月、その代償として、つまり国内向けポピュリズムのツケとして、国際的な〈ジャパンパッシング〉(文書より)が起きていたことを、令和の日本人は決して忘れてはなるまい。いくら人気者とはいえ、このような「危険人物」を国政の重要場面に携わらせるリスクを肝に銘じておくべきであろう。その点、当時の外務省の対応は、教訓として大いに示唆に富む。

 文書はこう分析している。

〈省内では田中大臣と対峙する体制を維持する必要があるとの考えを持つグループと、彼女との共存を求める融和派に分かれつつあるように見受けられました。私は、当時からこの融和派の人々をナチスドイツ政権占領下のヴィシー政権になぞってヴィシー派と呼んでおりました。特にこのような考え方に沿って積極的に動いていた局長が2~3名おりましたが、このような考え方の相違が今や省内分裂の危機を感じさせるところまで来ているとは私自身不覚にも気付きませんでした〉

「融和」がどんな悲劇を招くかは文書が語る通りだ。とりわけ外務省という国益に深く関わる舞台で、狼藉大臣を拱手傍観することは罪に等しい。

 なおナチスの傀儡政権であったヴィシー政府は、ユダヤ人の強制収容所送りなどに「加担」した。

 翻(ひるがえ)って令和の政界はどうか。

 2月2日、総理の菅義偉は記者会見で初めてプロンプター(原稿映写機)を使用した。支持率低下に歯止めがかからないなか、菅曰く「きちんと情報発信」するのが目的だった。これにより、手元の原稿に視線を落とすことなく、カメラ目線で国民にアピールできる。

 ワイドショーのコメンテーターたちはこのプロンプター会見を評価した。これまでより総理の言葉が伝わってきたと。しかし、大事なことは「目線」ではなく「内容」である。すなわち、会見の「外身」ではなく「中身」。内実の伴わないパフォーマンス、それをポピュリズムと言う……。

 2021年、我々が田中真紀子から「学ぶ」べきことはまだ無限にある。

(敬称略)

週刊新潮 2021年2月18日号掲載

特集「『ポピュリズム』は20年前のこの時から始まった 『外務省秘密文書』入手! 今明かされる『田中真紀子外相』の狼藉」より

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。