「手書きの文字」の無意味さ 学校で教わることのほとんどはグーグルで代替可能(古市憲寿)

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 2021年、何か新しいことを試そうと思って、この原稿はノートに手で書いている。キーボードを使った時と比べて、文体くらいは変わるかもしれない。手書きで文章を書くのは高校生以来だろうか。実に不便である。修正には手間がかかるし、何よりも手が疲れる。

 今でも学校現場では手書きが一般的だというが、全くもって信じられない。漢字や英語など、記憶定着のための手書きならいいが、作文を手で書かせるなんて害悪とさえ言える。けんしょう炎になったら誰が責任を取るのか。大人がしていないことを子どもにだけ強いる意味はない。

 しかも手書きの文字は他者にとっても迷惑だ。読み辛い上にデータとしても扱いにくい。大作家ならば汚い文字をFAXで編集部に送るのも許されるだろうが、我が家にはFAXなどない。

 せっかく手書きで書いた文字をキーボードで打ち直すのも何なので、グーグルアプリのレンズ機能を使ってみることにした。

 実に簡単である。まずスマホにグーグルアプリをインストールする。そして検索ウィンドウの右側にある四角いレンズアイコンをタッチ。カメラが起動するので、モードを「テキスト」にして、汚い字を撮影する。「すべて選択」「パソコンにコピー」で、ワープロソフトなどにテキスト化された文字を貼り付けられる。

 手が疲れてきたので、ここからはパソコンで書く。よく手書きの是非が議論されるが、グーグルのレンズ機能の便利さを前に、そうした議論は馬鹿らしくなる。

 グーグルレンズでは、世のほとんどのものを検索できる。街角で見かけた花や鳥にスマホをかざせば、「サザンカ」や「オオミズナギドリ」などと教えてくれる。特徴的なビルや家具、ワインなども探し当ててしまう。さらに「宿題」機能を使えば、数学や科学の問題を解くヒントを教えてくれる。もちろん自動翻訳も得意だ。

 手書きどころか、学校で教わることの多くが、グーグルレンズで代替可能である。もはや人間は何も学ぶ必要がないのか。

 旧世代にとって朗報なのは、しばらくは人間側の抵抗が続くことだ。たとえばグーグルレンズでは人間の顔は検索できない。技術的には簡単でも、社会がそれを許さないからだ。

 加えて、どうやら人間は、同時代を生きる生身の人間に興味がありそう、ということもわかっている。たとえばいくら人気を博した小説やエッセイでも、作家が死ねばほぼ全て忘れ去られてしまう。ロボットの演奏会に通いたい人もごく一部だろう。労働者がAIに置き換わることがあっても、消費者の主役は人間である。その意味で、人間の時代はしばらく終わらない。

 グーグルが妙な人間臭さを装い始めた時が、一つの分水嶺になるのかもしれない。試しにグーグルホームに、「人間の時代はいつ終わるか」と聞いてみた。答えは「私は予言者ではありませんが、今を生きるあなたがハッピーになるように全力でお手伝いする」。意外と人間の時代は短いのかも。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2021年2月4日号掲載

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