一夜の過ちが妻にバレて三畳の小部屋で寝起き… 46歳男性が語る「二世帯生活の苦悩」

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「逆玉」に乗ったと思いきや

 なりゆきと勢いで「一夜の過ち」を犯してしまうのは、多くの大人が身に覚えのあるところではないだろうか。誰にもバレなければそのまま終わってしまう話なのに、何の因果か、そういうときに限ってバレてしまうものだ。しかも妻に。そして自分が、妻や義父から逃れられない立場だとしたら……。

 結婚して16年、14歳と12歳の子がいるタカシさん(仮名=以下同・46歳)は、現在、妻の両親と二世帯住宅で暮らしている。長男の中学受験を見越して、都心にある妻の実家に越してきたのが1年半ほど前のことだ。

「妻には兄がいるので、両親とは同居しないという条件で結婚したんです。ところがその義兄が義父とケンカをして家業から離れ、結果として妻に家業の責任が回ってきて、そのまま僕の責任にもなった」

 タカシさんは、地方で町工場を営む家庭に生まれた。工場は世間の景気に左右されがちだったが、父親は「大学に行きたいなら行ってほしい」と言ってくれた。東京の有名私立大学に進学、アルバイトをしながらも優秀な成績で卒業、名前の知られた企業に就職した。その企業の取引先の社長に気に入られ、「うちの娘と結婚してほしい」と頼まれた。

「社長はいい人だったし、義兄が専務として入っていたから『きみは会社を辞める必要はない』と言われたんです。紹介された彼女は、いい家の娘らしくおっとりしていて感じがよかった。そのころちょうど僕、小悪魔みたいな同僚の女性に振り回されたあげくにフラれたばかり。前の彼女へのあてつけもあって、先に結婚してしまおうと思ったんですよ」

 30歳になる直前に結婚。妻となった女性は27歳だった。義父はマンションを買ってくれ、夫婦はそこで暮らし始めた。

「『逆玉だ』なんてみんなに言われましたし、僕をフッた同僚の女性からは『あなたも結局はつまらない男だったのね』なんて言われました。でも当時は幸せでしたよ」

 義父は毎日、通いのお手伝いさんを寄越したという。このお手伝いさんとはほとんど顔を合わせたことがないが、料理がうまく、家の中はいつもピカピカ。専業主婦の妻は、昼間何をしているのかわからないが、毎日上機嫌で暮らしていた。

「朝から晩まで働いて帰ってきて、きれいな妻が機嫌よく迎えてくれる。これ以上、望むことはありませんでした」

 ところが、子どもが生まれてから妻が変わっていく。子を持てば強くなるのは女性の常だが、タカシさんの妻の場合は「芯がしっかりした強さではなく、支配欲が出てきた感じ」なのだという。その余波はタカシさんにも及んだ。

「『子どもがいるんだから~して』って、何もかも子どもをダシにするようになった。もちろん、僕だって子どもはかわいいから面倒を見ましたよ。だけど妻と僕とはあくまでも大人の関係のはず。でも妻は、『子どもと私』が一体化していて、僕にまとめて面倒を見ろという感じでした。弱そうに見せて支配しようとしている。それがちょっと嫌でしたね」

 妻とは少し距離ができてしまったとタカシさんは言う。2人目の子が生まれて、その距離はさらに開いた。

相談なく同居生活が始まった

 だからといって外で遊んでいたわけではない。

「ときどき飲みに行ったり、学生時代の悪友に誘われてキャバクラ行ったりしたことはありますが、風俗にも行かないし浮気もしたことはありません。週末は子どもたちと遊ぶのが楽しかったから……」

 公園に行ったり、家の中で絵を描いたり。絵が好きだったタカシさんは、子どもたちとお絵かきをして昔の感覚がよみがえり、また水彩画を描くようにもなった。

「でも妻は何もしていない。何か趣味でも始めればいいのに。平日のお手伝いさんは相変わらず来ていたし、恵まれた環境なんだから。ただ、それを言うと妻はすごく嫌がりましたね。『私は何もできない』といつも言っていた。そのあたりに妻の根深いコンプレックスがあるのかもしれませんが、そこを深掘りしても意味がないと僕は思っていた。冷たいんですかね」

 どんな距離感が心地よいのかは、夫婦が10組いれば10通りだろう。ふたりで作り上げていくものではないだろうか。タカシさんはその心地よい距離が見定められず、ときおり妻との関係にいらついていた。

「5年ほど前ですね、妻から『父の会社を継いで』といきなり言われたのは。聞いてみると、義兄が義父とぶつかり、とうとう会社を辞めてしまったというんです。あまりよく知らなかったんですが、義兄と義父はもともと折り合いがよくなかったみたい。会社をやっていくにはお互いに譲り合いも必要なんでしょうけど、どうも経営方針が水と油だった、と。だからといって僕は経営には疎いし、仕事の内容も自分が長年勤めてきた会社とはまったく違う。それは無理だよと言いました」

 すると妻は、さめざめと泣き出した。「お父さんが必死にやってきた会社はもう終わり」と。それを見捨てるほどタカシさんは冷たくなかった。義父と話し合うと約束した。

「義父は悪い人じゃないんだけど、まあ、押しが強いんですよね。会社を経営してきただけのことはある。押し引きが絶妙。1ヶ月ほど説得されて、とうとう僕で役に立てるなら、と言ってしまいました」

 大学を卒業して以来、勤めてきた会社を辞めた。最後には毎日のように送別会があったというから、タカシさんは周りの人たちに愛されてきたのだろう。

「懸念していたとおり、義父の会社では苦労の連続でした。僕の意志で、営業の下っ端からやらせてもらいましたが、最初の3年の間に胃潰瘍、帯状疱疹といろいろ病気もしました。だけどどこか負けず嫌いなところがあるので、病欠もせず必死にがんばりました」

 3年たってようやく周りも少しずつ認めてくれるようになった。義父は役職をつけたがっていたが、彼はそれを固辞し、営業部の一員として馴染んでいった。

 そんなとき、彼が中心になっていたプロジェクトでかなり大きな成果をあげることができ、ようやくほっと一息ついた時期があった。

「そのときですよ。『両親の家の改築が終わって二世帯住宅になった。引っ越すわよ』と妻が言ったのが。僕は何も聞いてない。どうして相談のひとつもしてくれなかったのかと聞いたら、『あなたは住まいについて何も口出しできないでしょ』と。確かにマンションは義父に買ってもらったものでしたけど、僕が買ってほしいと言ったわけじゃない。結婚するなら、マンションを買うからそこに住んでほしいと義父に押されて決めただけ」

 妻は上の子の中学受験もあるし、早く実家に越そうと急かしてくる。彼は仕事が多忙だったこともあり、「全部任せるよ」と妻に告げ、自分の書斎の荷物だけをダンボールに入れた。

「どうせ引っ越しだって人任せなんだろうし、僕はある日から別の家に帰るだけ。そう諦めていました。二世帯住宅は、一応玄関も別だったけど、1階に広いリビングがあって、そこに集わないといけないように造られていました」

 仕事でも家庭でも妻に取り込まれていくような焦燥感が彼を襲った。今までの自分の人生は何だったのだろう。そんな気持ちにもなった。

「子どもの受験だって、本当に子どもが受けたいかどうかなんてわからないのにね。僕がこっそり聞いてみたけど、『おかあさんががんばってるから裏切れないよ』と言ってました。年端もいかない子どもなのに気を遣ってる。なんだか切なくなりました」

 だがこういうとき、家庭を一度壊す勢いで何とかしてやろうという気概は、男性たちにはめったに起こらない。優先順位が仕事にあるからなのだろうが、やはり「面倒なことになるのは嫌だ」という気持ちもあるのではないか。

「唯一の救いは、僕が婿養子ではなかったということかな。『この家庭は僕の家庭なんだ』という支えになったのは、養子ではないこと。たいしたことではないけど、そこに心のよりどころがありました。そんなとき、前の職場の後輩女性から連絡があったんですよ。相談に乗ってほしいというので会ったら、夫からの暴力がひどくて離婚を考えているという。それは子どもを連れて早く逃げるしかないと説得しました。そうやって何度か会っているうちに、一度だけ彼女に泣かれて……。泣いている女性を放って帰れなかった。言い訳かもしれませんが、なんとか彼女の力になりたかった」

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