菅総理「会食ざんまい」スルーでわかる番記者たちのベッタリぶり

国内 政治 2020年12月29日掲載

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総理番記者たちの“ツッコミ能力”の低さ

 菅内閣の支持率低下の要因の一つとして見られている「ステーキ会食」。いちおうおさらいしておくと、12月14日夜、総理が銀座の高級ステーキ店での「忘年会」に顔を出したという一件である。出席者が総勢8名という「大人数」であること、70代以上の高齢者ばかりであることが、「政府が国民にやめろと言っている条件がそろっているじゃないか」という批判、反発を招いているのだ。

 特にテレビの情報番組などでは、この総理の行動に批判的なコメンテーターが多い。

 しかし、問題の14日~15日の報道を見ると、実はメディア、少なくとも新聞の総理番記者のレベルでは、どうもこの会食を問題視していなかったフシがある。

 というのも、15日の紙面を見ると、産経から朝日、東京に至るまで淡々と「首相動静」欄で、ステーキ店で会食をしたこと、メンツが二階幹事長含めて高齢者揃いだったこと、大人数だったことを伝えているだけで、それ以外の記述は見当たらないし、批判的な取り上げ方もまったくしていない。

 唯一、産経新聞だけが会食の中味について触れているが「コロナの話題は出なかった」と伝えるにとどめている。

 批判的なニュアンスが紙面に表れるのは、あくまでも与野党の議員らが批判するようになってからで、それも「批判の声がある」と伝えるだけで、自分たちがどう見ているかについては触れていない。

 これは無理もない話で、これまでにもずっと菅総理は会食を続けていたが、それを問題視していなかった以上、急に批判しづらいところだろう。

 平たく言えば、この間、一度もツッコミを入れていないのだから、急に「ダメ」とは言いづらいのだ。

 このツッコミ能力の低さは、ステーキ会食が問題化してからも変わっていない。

ジャーナリズムに必須の“クエスチョニング”の姿勢

フェイクニュースの見分け方』などの著作がある、フリージャーナリストの烏賀陽弘道氏はこう解説する。

「欧米のジャーナリズムの必須の動作として“Questioning”という言葉があります。クエスチョニングとは、ただ単に質問をすることではなく『相手の言っていることは真実なのか』『何かを隠しているのではないか』という前提で問いかけていくことです。意訳すると『検証する』『問題点がないか探す』に近い内容を指しています。関西弁でいう『ツッコミを入れる』も似ている。

 首相官邸や有力官庁の記者クラブに所属する記者たちの記事を見ていると、このクエスチョニングが極端に乏しい。政府高官や官公庁の発言を、まるで録音起こしのように字句通りに書くだけ。こういう記事ばかり書いていると、発言にウソや矛盾、つじつまが合わない点があっても、見逃してしまう。やがてクエスチョニングの思考そのものが退化します。問いかけさえしなくなるのです。

『首相動静』を読むと、感染拡大の局面でも、菅総理はずっと会食の習慣を変えていなかったことがわかります。ずっと総理のそばにいる番記者が、その事実を知らないはずがありません。ところがそれを『コロナ感染拡大防止のために政府が国民に奨励している内容と矛盾しているのではないか』とは思わなかった。思っても書かなかった。

 なぜ総理の周囲にいる記者たちの一人でも『総理、その会食は人数からいっても、出席者の年齢からしても、政府の方針とは矛盾しています。総理がそんなことをなさっては、国民に範を示すことができません』と問題を提起できなかったのか。こういう動作こそクエスチョニングというのです。

 これは『総理をけなしている』『ケチをつけている』ことにはなりません。政治がより良くなるためのアドバイスをしているにすぎない。そんな仕事も、権力の中枢にいる記者にはあるはずです。

 本来そうした記者クラブ・番記者というのは、国民の知る権利の代理人だからこそ、権力者のそばにいる特権があるのです。それなのに、普通の国民ならおかしいと気づく問題を発見できない、書けないのでは、特権を受ける根拠が失われます」

 菅総理のステーキ会食については、公明党の山口那津男代表が15日の会見でステーキ会食について「国民に配慮を」と“苦言”を呈したことが一斉に報じられている。

 しかし、ではその山口代表はといえば、わずか1週間前の9日、ホテルの和食レストランで菅総理と会食をしている。さすがに忘年会ではなく、政策について話し合った模様だが、何人出席したのか、食事付きの会談である意味があったのか、番記者たちが山口代表を追及したかは不明である。

デイリー新潮編集部