新聞の「御用コメンテーター」に要注意 「代理話者」はなぜ増えたのか

社会2017年6月27日掲載

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■「代理話者」があふれている

「代理話者」の話は、本人のコラムという形で載ることもあれば、「識者談話」「オピニオン」などの形を取ることもある

 国会での大騒動の末に成立した「テロ等準備罪」。成立を伝える各紙には、法案の中味や成立過程などの事実を伝えるほか、様々な識者のコメントも多く掲載されていた。なかでも異彩を放っていたのは東京新聞の紙面だ。

 法案に否定的な立場の朝日新聞、毎日新聞であっても、記事の中には賛成派の談話も紹介する格好になっているのに対して、東京新聞の紙面はほぼ反対派の談話のみ。同紙のみで情報収集をしている読者がいたら、世の中で賛否が分かれているなどとは露程も思わないかもしれない。

 このような識者の談話を紙面で見ることは珍しくない。その新聞の論調に近い人が多く起用されることが多い。そのため、多くの新聞読者にとっては、こういう談話が載っていることにさほど違和感を覚えないかもしれない。

 しかし、こうした記事は、「本来は記者が事実を取材して書くべきであって、“代理話者”の話で代替すべきではない」と指摘するのは、元朝日新聞記者で、現在はフリーとして活動している烏賀陽弘道氏だ。

 烏賀陽氏は、新著『フェイクニュースの見分け方』の中で、「根拠となる事実を取材してとらえることができなかった時に、記者が事実を書く代わりに、その媒体が言いたいことを発言する話者」のことを「代理話者」と呼んでいる(以下、引用は同書より)。

「代理話者」の話は、本人のコラムという形で載ることもあれば、「識者談話」「オピニオン」などの形を取ることもある。言うまでもなく、テレビでは「コメンテーター」が「代理話者」となる。

 烏賀陽氏が入社した80年代後半の時点では、こうした「識者」すなわち「代理話者」のコメントを載せることについて、上司たちからこんな教えを受けていたという。

「識者のコメントを取材して載せるくらいなら、その内容を証明するような事実を取材して書け」

 今風に言えば「ファクトで勝負せよ」という教えである。

「識者コメントはそれができず、論拠が弱いときの『ごまかし』だと教わった。代理話者の発言が掲載されていることは『裏付けとなる事実の取材ができなかった・足りなかった』という、記者にとっては『敗北』だったのである」

■経営とリンク

 ではなぜ「代理話者」「コメンテーター」が増えたのか。烏賀陽氏は、経営との関連があると指摘する。識者コメントでごまかすな、といった文化が廃れ始めたのは、新聞や出版の企業としての業績が下り坂になった90年代半ば以降だというのだ。

「記者の人数が減らされた。交通費や宿泊費など経費が削減された。取材にあてる時間が短縮された。すると記者が取材した記事だけでページを埋めることが難しくなった。

 その代わりに代理話者のコメントが増えた。最後には筆者を固定した『コラム』『エッセイ』など『連載もの』で紙面を埋めるようになった。そのほうがコストが少なくて済むからである。

 朝日新聞なら朝日新聞で、自分たちの主張に沿った内容を発言してくれそうな代理話者はある程度事前にわかっている。気の利いた記者なら、それをリストアップし、連絡先(電話番号、メールアドレス、SNSのアカウントなど)を用意している」

■オピニオンは捨てよ

 まぎらわしいのは、注意しないで読むと、読者にはそうした代理話者の話がどこまで事実(ファクト)に基づいているのか、それとも当人の願望もまじえた嘘(フェイク)なのかがわかりにくい点である。その人の肩書や経歴に重きを置いて読むと、つい信用したくなるのだが、よくよく点検してみると、ほとんどが本人のオピニオンに過ぎなかったというケースは多い、と烏賀陽氏は指摘してこう語る。

「そのコメントに、根拠となる事実が例示されているのか、を先にチェックして、なければゴミ箱に捨てるくらいの気持ちでいいのではないでしょうか。『~と思う』『~と感じる』といった書き方をしているものは真っ先に疑ってもいいでしょう」

 また、烏賀陽氏は、そもそもその代理話者が、そのテーマについてどのくらい専門的な知識を有しているかをチェックする習慣を身につけることも推奨している。多くの場合、代理話者は専門家でもなければ、そのテーマについて取材した経験すらない。

 世界中で流通する情報量が爆発的に増えているからこそ、フェイクを見抜く眼力が必要になるのである。

デイリー新潮編集部