「複数の政府関係者」って一体誰? 共同通信「日本学術会議」記事のナゾ

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 11月8日、共同通信が配信した記事がさまざまな反響を呼んでいる。

 タイトルは

「官邸、反政府運動を懸念し6人の任命拒否」(現在は別のタイトルに変更)

 日本学術会議の任命拒否問題に関する記事である。

 この記事では、問題視されている「6名の任命拒否」の理由として、

「安全保障政策などを巡る政府方針への反対運動を先導する事態を懸念し、任命を見送る判断をしていたことが7日、分かった。安全保障関連法や特定秘密保護法に対する過去の言動を問題視した可能性がある。複数の政府関係者が明らかにした」

 と伝えている。

 また、

「政治による恣意的な人事介入に当たるとして、政府への批判がさらに強まる可能性がある」

ともある。

 これを読んで「やっぱりそうか! 菅総理許すまじ」と怒りをあらたにした人もいるのだろうが、どちらかというと「何だ、この記事」と首をかしげる向きが多かったようだ。

 その理由の一つは見出しに「反政府運動」という大仰な単語が用いられていたこと。何だか国家転覆を狙う運動を連想させやしないか――この点について、ジャーナリストの山口一臣氏が違和感をヤフー上の個人サイト(風に吹かれて)で示している。

 単に彼らは政府のある政策に反対を表明したことがあるにすぎない。それを「反政府運動」と表現するのはおかしいのではないか、ということだ。政策に異を唱えることを「反政府運動」呼ばわりするのは、都合の悪い意見を封じる側の論理を採用するのに通じかねない、という指摘である。

 他にも共同通信の記事へのコメントとしては、「なぜいまこの記事?」という疑問が多く書き込まれていた。そもそも任命拒否問題が報じられてすぐに、「過去の言動」が問題視されたのではないか、という見方は伝えられている。6人の共通項が安全保障関連法や特定秘密保護法に反対していたことであるのは、新聞、テレビでとっくに報じられている。

 10月1日の時点で、当の共同通信が

「(任命から)外れたのは候補者105人のうち安全保障関連法に反対した法律学者ら6人だったことが1日、関係者の話で分かった」

 と伝えている。

 この時に「分かった」ことと、今回「分かった」ことはどこが違うのか。前回の「関係者」が今回は「政府関係者」になっているから重みが違うのだろうか。「反対運動を先導する」というあたりが新味なのだろうか。

 ジャーナリストの烏賀陽弘道氏は著書『フェイクニュースの見分け方』の中で「関係者」という肩書の読み方を解説している。

 たとえば「ホテル関係者」が証言したという記事がある。その場合、関係者イコール従業員と捉えるのは間違いで、「宿泊客」の場合もあれば、プールの利用者のこともある、取引先企業の社員かもしれない、と。

 もちろん、すべての情報源を明記することは不可能で、そのような縛りをかけてしまうと匿名の証言を書けなくなる。安易な「関係者」は避けるべきだろうが、「関係者」コメントそのものは全否定されるものではない。

 しかし、11月8日の共同通信記事の場合、伝えている情報は前月とほぼ同じ。となると、わざわざ「政府関係者」が証言した、と言っても読者には何のことだかわからない。前回も広い意味では「政府関係者」であっただろう。

主語が明示されていない文章は疑う

 改めて烏賀陽氏にこの記事について聞いてみた。

「政府関係者と書いて、記者はニュースソースを示しているつもりかもしれませんが、実際には何の信憑性もありません。守衛だって関係者ですし、番記者だって関係者でしょう。『関係者』を主語にして、記者が自分の主観を書く手法は新聞社時代によく目撃しました」

 共同通信の記事には、さらに『フェイクニュースの見分け方』で批判されている手法が用いられている。同書で「主語が明示されていない文章は疑う」べきだ、と烏賀陽氏は指摘している。

 新聞等でよく目にする「~との指摘もある」「~との見方が強まっている」という類の文章である。

 引用した共同通信の記事では、

「政治による恣意的な人事介入に当たるとして、政府への批判がさらに強まる可能性がある」

 とあった。

 しかし「誰」が批判するのか、ここには書いていない。学術会議からなのか、野党なのか、それとも共同通信からなのか。「強まる」とはどういう意味か。批判者が増えることなのか。語調が激しくなるのか。また「可能性がゼロ」などということは現実にはありえない。外れても記者が責任を取らずに済む「逃げ道を残しておく表現」である。

 烏賀陽氏はこう話す。

「いまだにこんなダメな記事が出るのか、と思いました。

 私が新聞記者をやっていた頃は、5W1H(いつ・どこで・誰が・何を・なぜ・どのように)の無い文章は書くなと厳しく教わりました。主語がない文章を書いたら、デスクから『誰がそう言ったんだ?』と問い詰められたものです。『主語が不明』イコール『根拠が不明』です。すなわち信憑性がない。『批判が強まる可能性云々』という書き方は、根拠があやふやだからこそ、こういう逃げ腰の表現になる。

 政界、財界、官界など力の強い取材先の記事ほど、こういうあやふやなソースの表現が増えます。取材対象との力関係が弱いので遠慮しているのです。これも取材力の低下、メディアの力の低下のあらわれだと考えています」

デイリー新潮編集部

2020年11月19日掲載

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