40周年「イデオン」はなぜ忘れられたのか 「ガンダム」富野由悠季もうひとつの傑作

エンタメ 2020年12月26日掲載

  • ブックマーク

作品への没入を拒む構造

「イデオン」に一般的な知名度や人気もない。若いアニメファンの間でも「壮大なテーマを扱ったアニメ」と半ば伝説化したイデオンの評価が、新規ファンの獲得を阻んだのかもしれない。何かしら近づき難い作品との印象を与えてしまうのだ。アニメ関係の仕事をしている人やアニメファンと話をしても「『イデオン』に関心はあるのだが、観る機会がなくて」といった言葉を聞くことが多い。

 イデオン好きの著名人をもう一度振り返ると、1960年代生まれに集中している。TV放送時に10代だったことを鑑みると、彼ら彼女らの思い入れは次世代に引き継がれず、作品と共に生きた人たちのみに支持されていることになる。イデオン好きを公言する人たちにしても、次世代に視聴を強く薦める雰囲気もない。それは時に“基礎教養”とまで言われる「ガンダム」や「ドラゴンボール」などと大きく異なる。

 そもそもイデオンには、新規の視聴者を拒む要素が多い。たとえば「伝説巨神イデオン」のタイトルは、古臭い。70年代、80年代の型的なロボットアニメを彷彿させる。玩具のようなロボットのデザインも、ガンダムのモビルスーツに較べると、時代に逆行した印象を与えるかもしれない。

 いま観直すとしても、シリーズの歪な構造も障壁だ。先ほども述べた通り、TVシリーズは唐突に打ち切られ、ラストは不完全。後の劇場版も、39話あったTVシリーズを1時間半にまとめた「接触篇」は、重要な箇所をはしょりすぎ、初見の視聴者は混乱する。一方、未放送パートの「発動篇」は、こちらは前提知識の共有なしで話が進むから、初見ではチンプンカンプンだ。

 結局、TVシリーズ全39話をきちんと観た後で「発動篇」へ進むのが正しい「イデオン」の観方なのだが、ここにも難がある。全39話は、いまのTVアニメの基準では、かなり長いのだ。また、キャラクターたちは視聴者の共感を得にくく、他の多くの富野作品と同様、物語の展開はなかなか進まない。面白くなるまで視聴するのには忍耐が必要になってくる。思えば、TV放送時は、毎週1話だからこそ視聴を続けることができた。改めて一気に観るには向いている作品ではない。

 しかし裏を返せば、観始めたときに抱く作品への「面白いのか?」という疑念と、中盤以降に加速度的に勢いを増す作品の仕上がりのギャップも含めて、「イデオン」は傑作なのである。忍耐強く付き合った結果として得られた感動が、作品の魅力を増す。それがクライマックスに達したなかで突如打ち切られ、満を持しての映画化。作品を巡る環境そのものがドラマなのだが、これは今から体験できない。だからこそ「イデオン」ファンは、若い世代にわざわざ視聴を勧めないのかもしれない。

なぜいま「イデオン」なのか

 そんな「イデオン」は、それでも現代で観る必要はあるのだろうか? もちろん観るべきだ。「イデオン」という作品を、歴史に残す必要性がある。傑作と呼ばれるアニメでも、多くは後から見ればどこか古臭さを免れない。数少ない作品だけが、時代を超えても色褪せない。その点、「伝説巨神イデオン」には、何十年経ってから鑑賞しても、物語、作画、キャラクター、あらゆるものに新鮮さがあるのだ。

 1980年代初頭、アニメ作品のなかでイデオンは、浮いた存在だった。線の細い美形キャラクターが主流になりつつなる中で、骨格が浮き上がるようキャラクターデザイン、視聴者の共感を拒否する登場人物たちの行動・言動。エピソードごとに描かれる、容赦なく残酷なストーリー。だからこそ、むしろ時代に流されないのだ。誕生40周年は必ずしも大きく取り上げられなかったが、50年後、100年後にも残る作品に違いない。

 近年の富野由悠季に対する評価の高まりは目を見張る。しかし、それでもまだ不十分である。富野由悠季という傑出したアニメ演出の仕事が「ガンダム」だけでない事実は、もっと知られるべきだ。富野の60年代から2020年代に至る長いキャリアには、さらに焦点があたるべき作品が溢れている。その最右翼が「イデオン」なのである。

数土直志(すど・ただし)
ジャーナリスト。メキシコ生まれ、横浜育ち。アニメーションを中心に国内外のエンターテインメント産業に関する取材・報道・執筆を行う。大手証券会社を経て、2002年にアニメーションの最新情報を届けるウェブサイト「アニメ!アニメ!」を設立。また2009年にはアニメーションビジネス情報の「アニメ!アニメ!ビズ」を立ち上げ、編集長を務める。2012年、運営サイトを(株)イードに譲渡。2016年7月に「アニメ!アニメ!」を離れ、独立。

週刊新潮WEB取材班編集

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]