40周年「イデオン」はなぜ忘れられたのか 「ガンダム」富野由悠季もうひとつの傑作

エンタメ 2020年12月26日掲載

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TVアニメの最後はお蔵入り…

「イデオン」が放送されたのは、1980年の5月から81年の1月末。79年4月から放送されていた「機動戦士ガンダム」の終了直後にあたる。「ガンダム」の終了前に、すでに「イデオン」の企画は動いていたという。

 作品を簡単に説明すれば、地球人と「バッフクラン」と呼ばれる異星人が「イデ」という未知のエネルギーを巡り出会う中で、誤解が生じ、宇宙規模で戦闘を拡大していくSFロボットアニメ、ということになる。この誤解は最後まで解けることなく、ふたつの文明が滅びるまでが描かれる。

 富野由悠季(当時は富野喜幸として活動していた)はこの頃、毎年のように1年シリーズの新作TVアニメを制作していた。並行して劇場映画を手がけ、小説の執筆もしている。つまり非常に多忙な時期にイデオンは誕生したということになる。作品は量産されていたが、むしろ数々の傑作が生まれた、脂の乗った時期でもあった。

 しかし当時イデオンは、確かな結果が残せなかった。当時の多くのロボットアニメ同様、夕方帯(21話までは毎週木曜18:45分、以降は毎週金曜19:30~)で放送されていたが、視聴率は低迷。連動して販売されたロボット玩具の売上も伸び悩んだ。結果、当初予定していた全43話を39話に短縮する格好で、イデオンは突如打ち切られるのだ。イデオンのハードな物語が、子ども人気を見込んだスポンサーの意図と違ったことも、この背景にはあるだろう。

 問題は、打ち切られたことで、ストーリーのクライマックスが放送されず、尻切れで意味不明のラストになってしまったのだ。当然、熱心なファンたちは不満を抱いた。物語がようやく完結したのは、TVシリーズの終了から1年半後の82年7月。総集編である「接触篇」と失われラストを新たに描いた「発動篇」の映画が、2本同時公開されたのだった。

 両作で上映3時間を超える大作である。が、一旦はお蔵入りとなった反動と、TVシリーズよりスケジュールに余裕があったことで、新作パートの「発動篇」は演出、作画のクオリティは、凄まじいまでに高い。「発動篇」はアニメ史に残る大傑作と語り継がれる。

誤読された「イデオン」、神でも宗教でもなく「人の業」の物語

「イデオン」の魅力は、「壮大なテーマ」「宗教的な世界」「衝撃的なラスト」といった言葉でしばしば説明される。しかしこれらの評価は、作品のごく一部に過ぎないと私は思っている。

 イデオンのなかで、むしろ際立つのは人間ドラマにある。例えば、自身は男性からの愛を得ることが出来なかった姉が、愛する男の子をもうけた妹に対して持つ妬みと憎しみと怒り。高い知性とプライドを持つ一方、愛するものを次々に失う中で精神のバランスを失っていく女性科学者。どのキャラクターも生々しく、視聴者の感情移入を拒否するかのようだ。

「TVアニメで生々しい人間の業を描き出した」。これこそが、イデオンがアニメ史に刻まれる作品たる理由だ。全ての登場人物が死に、そして再生する結末は衝撃的であるが、神や宗教は作中で言及されていないのも特長だろう。

 もちろん、人間ドラマは前作「機動戦士ガンダム」でも多く描かれたが、「イデオン」では人の業によりフォーカスしている。それはガンダムで成功した富野由悠季が、よりストレートに自身の想いをぶつけた結果かもしれない。富野らしさが全面に出たとされる後の作品「逆襲のシャア」や「Vガンダム」の源流は、“ファーストガンダム”でなく、むしろイデオンにある。

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