26年前の「日野町事件」で問われる裁判官の罪 彼らはこうして冤罪事件に加担した

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「日野町事件」といっても知る人は少ない。大津地裁が再審開始を決定し、認めない検察が大阪高裁に即時抗告している、36年前の殺人の冤罪である。濡れ衣で刑務所に入れられた男性は雪冤を果たせず他界した。純朴な市民に無念の死を遂げさせたのは裁判官である。

 1984年12月29日夜、滋賀県日野町の「ホームラン酒店」の店主、池元はつさん(当時69)が行方不明になり、年明けて1月18日に町内の造成地で遺体が発見、4月末に町内の山中から壊されたからの手提げ金庫が見つかる。5万円などが奪われた。滋賀県警の捜査は難航したが3年後の1988年3月、常連客で工員の阪原弘さん(当時53)を逮捕した。当初、否認していた阪原さんは「酒代が欲しくなった。年末だから金庫にお金があると思い、池元さんを背後から襲い手で首を絞め、ひもでも締めた」と自白に転じた。

 しかし当時、阪原さんは妻と共稼ぎで2千万円以上の貯金もあり、「酒代欲しさ」は不自然だった。長女が嫁ぐ直前で幸せだった。

 公判からは「知人の家で酒を飲み泊まっていた」とアリバイを主張し一貫して否認したが95年6月、大津地裁(中川隆司裁判長)は「自白は信用できない」としながらもアリバイを否定して無期懲役とした。大阪高裁は「自白はおおむね信用できる」と控訴を棄却。2000年に最高裁で刑が確定した。阪原さんは再審請求したが06年、大津地裁(長井秀典裁判長)は却下する。11年に広島刑務所で病状が悪化し刑の執行が停止された阪原さんは広島市の病院で死去した。

 長男弘次さん、長女美和子さんらが第二次請求をし、2018年7月に大津地裁(今井輝幸裁判長)は「自白に信用性がない」などと再審開始を決定したが、検察が大阪高裁に即時抗告している。美和子さんによれば弘さんは捜査官(当時の滋賀県警捜査一課の川端光應警部補)から「嫁ぎ先をガタガタにしたろうか」と脅され、自分はどうなってもいいと自白したという。その後「殺人犯の娘や孫でいいの?」と言われて阪原さんは我に返ったのだ。

いわくつき裁判官

 筆者は二年前、地元で阪原さんを支援している元高校教師長谷川信夫さん(71)の案内で現場を巡った。自白では、阪原さんは池元さんの遺体を覆いもせずに軽トラックの荷台に乗せて日野警察署の前を通って捨てに行き、酒店に戻って物色し金庫を持ち出し石原山に向かい、藪をかき分け金庫を壊して開き捨てたという。「遺体を隠しもせず警察署の前を通りますか。埋めるつもりもないなら深い藪を降りる必要もない。投げればいい。そもそも暗闇で苦労して金庫を開くのか」と長谷川氏が指摘するように不自然だらけだ。長谷川氏は「弘さんは酒好きで人が好く、しっかり者の妻つや子さんに頼っていた」と話す。そんな阪原弘さんから警察が虚偽自白を引き出すのは容易だった。

 事件では裁判官の基本的な見当違いもある。金庫は池元さんがいつも横に置いていた緑色と、奥十畳の押し入れにあったベージュの二つがあった。奪われたのはベージュで、緑の方は手つかずで現金も残っていた。だが控訴審の田崎裁判長の判決は「酒を飲みながら被害者と雑談をしている時、被害者の横に年末の集金がたくさん入っているだろうと思われる手提げ金庫を見て(中略)被害者を殺害して金を取ろうと…」になっている。ベージュの金庫が「被害者の横」に歩いてきたのか。この「勘違い」を一次請求審で大津地裁の長井秀典裁判長は「被害者がたまたま(中略)店舗畳の間に持ち出してきた可能性は否定できない」とごまかした。長井裁判長は、被害者の舌骨が折れている等の痕跡が鑑定で自白通りでは不可能とされると「3年経過し被告人が記憶違いと説明することも可能」とした。牽強付会そのもの。長井裁判長は、殺人の汚名で服役した元看護助手の西山美香さんが雪冤した「湖東記念病院事件」でも、西山さんに有罪判決を下した「いわくつきの男」だ。

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