「史上最悪の殺人教師」は“でっちあげ”だった! なぜ戦慄の冤罪劇が生まれたのか、驚愕の真相は――

社会2018年12月11日掲載

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「日本は島国で純粋な血だったのに、だんだん外国人が入り穢れた血が混ざってきた」「血の穢(けが)れている人間は生きている価値がない。早く死ね、自分で死ね」――。

 2003年に福岡市で起こった「教師によるいじめ事件」を覚えているだろうか。一人の男性教諭が、アメリカ人を先祖にもつとされる男児に対し、人種差別や体罰などのいじめを行ったという事件である。教師は「史上最悪の殺人教師」と呼ばれ、マスメディアも扇情的に報道した。福岡市教育委員会は全国で初めて教師によるいじめを認め、男性教諭を懲戒処分。男児の両親は、福岡市と教諭個人を被告とし、民事訴訟を起こした。だがこの事件、実はクレーマーの親による「でっちあげ」、つまり冤罪だったのである。

「史上最悪の殺人教師」は覚えていても、これが冤罪だったことまで知っている方は少ないのではないか。裁判が進むにつれ、男児や男児の親側の証言に信憑性が薄いことが明るみになる。2008年に結審した裁判では、原告の証言はほとんど認められず、2013年には福岡市人事委員会が教諭の懲戒処分を取り消す裁決をした。

 なぜこのような冤罪劇が起こってしまったのか。ノンフィクションライターの福田ますみさんは独自にこの事件を追った。著書『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』には、冤罪が引き起こされるまでの戦慄の経緯が記されている。(以下、同書を参照、引用)

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 きっかけは家庭訪問だった。母親との雑談の中で男児の曾祖父がアメリカ人という話になり、男性教諭は「アメリカの方と血が混ざっているから、(男児は)ハーフ的な顔立ちをしているんですね。目や鼻がはっきりしているんですね」と返す。母親は「3世代目ですから特徴が出ているんでしょうね」と応える。ごく普通の会話として、そのやりとりは行われた。

 だがその後、事態は一変する。男児の両親が学校にやってきて、家庭訪問の時に男性教諭が男児のことを「血が穢れている」と言って傷つけたと抗議してきたのだ。また、学校内での体罰や言葉の暴力なども同時に訴えてきた。全く身に覚えがない男性教諭はそれを否定するが、学校側は保護者の言うことを鵜呑みにし、全く聞く耳を持たない。なぜ男児の両親はありもしない話をでっちあげるのか。その理由は分からないが、学校側の強い圧力もあり、男性教諭は身に覚えのない「いじめ」について認め、両親に謝罪してしまうのだった。

 それでも、騒ぎは収まらなかった。マスコミがこのことを「史上最悪の殺人教師」としてセンセーショナルに報じ始めたのだ。そこから男性教諭の人生は転がり落ちるように進む。担任交代、停職6カ月、そして裁判へ――。しかし、その裁判は意外な展開を迎えるのだ。

 詳しくは同書に譲るが、男性教諭の「いじめ」によってPTSDになったという男児を詳しく検査したところ症状が見られず、母親の証言の中でのみPTSD症状が存在しているという疑いがもたれ始める。また一番注目を集めていた「血が穢れている」発言の発端となった「男児の曾祖父がアメリカ人」という親の言葉自体が虚偽だと発覚する。

 なぜ男児の両親はありもしない話で男性教諭を追い詰めようとしたのか。なぜ学校側は、男性教諭の話をろくに聞かずに処分を下したのか。男性教諭はなぜやってもいないことを謝ってしまったのか。それは現代の教育現場が抱える複雑な問題を浮き彫りにしているようにも思える。

 福田さんは同書の中で「教諭に降りかかった災難は決して他人(ひと)ごとではない。“子供という聖域”を盾に理不尽な要求をする保護者が増え、それとともに、教師がますます物を言えなくなる状況が続けば、容易に第2、第3の被害者があらわれても不思議はない」と語る。

 また、マスメディアの誤報がこの冤罪を過熱させた大きな原因のひとつだが、福田さんはその流れに乗らず、真相に迫ることが出来た理由を以下のように明かす。

「私が、この事件の真相に少しでも肉迫することができたとすれば、男性教諭に長時間話を聞けたことが大きい。さらに、それに先立つ聞き込みによって、既存の報道から受けた先入観を払拭(ふっしょく)し、ニュートラルな気持ちで取材に臨めたことも幸いした。この幸運がなければ、私もまた、男性教諭を体罰教師と決めつけた記事を書いていたかもしれない。その差はほんの紙一重だ」(同書より)
 
「殺人教師」のレッテルを貼られ、それでも冤罪と戦い続けた男性教諭は、2013年の懲戒処分取り消しの判決について「この10年間私は、筆舌に尽くせない苦しみを味わってきました。今回やっと私の言い分を全面的に認めてもらい、ようやく溜飲が下がる思いです」(同書より)と言う。

 福田さんはこの冤罪事件について以下のように語り、同書を締めくくっている。

「公平性を欠いたずさんで理不尽な懲戒処分が、一人の善良な教師の教師生命、いや、その人生さえもめちゃくちゃにしようとしていたことを、関係者はどの程度の深刻さで受け止めているだろうか。判定はあらためて、この事件が『でっちあげ』以外にあり得ないことを証明している」

デイリー新潮編集部