カトリック聖職者の「性的暴行」を女性信徒が告発 PTSD、躁うつ病に苦しめられた40年間

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 2016年に米アカデミー賞作品賞を受賞した「スポットライト」は、聖職者の性的虐待を新聞記者が暴く過程を描く。後世に語り継がれる映画との評価を得ている作品の基となったのは、次のような実話だ。

 カトリック教会では人知れず神父などによる性犯罪が多発していた。しかし教会はそれを組織ぐるみで隠蔽。被害者が千人以上もいるというのに誰もが見て見ぬふりを続けてきた。この許されざる罪を、02年に米東部ボストンのローカル紙が暴いたのである。

 映画はこの経緯を描いたが、現実世界ではこの新聞報道を機に、世界各地で同じ疑惑が次々と浮上。ローマ法王も公式に謝罪する大スキャンダルとなった。

 以来、たとえばドイツでは、過去70年ほどで3600人以上に対する性的虐待が確認され、“まさか聖職者が性犯罪に手を染めるなんて”という人々の概念をいとも簡単に覆した。

 我が国でも、日本カトリック司教協議会の調査で、過去約70年に16件の訴えがあったと報告されている。そして実際に、9月25日、

〈「司祭から性的暴行」カトリック信者、教会提訴〉

 といった記事が新聞各紙に掲載された。カトリック信徒だった鈴木ハルミさんが教会の司祭から性的暴行を受けたとして、先月24日、5100万円の損害賠償を求める訴訟を仙台地裁に起こしたのである。

 被告は宮城県内などの教会を管轄するカトリック仙台司教区と、司祭ら2人。だがその性的暴行は43年前、1977年のこと。

 なぜ40年以上経ってから提訴したのか。かくも長き空白の歳月は何を意味するのか。日本の教会でも組織ぐるみでの隠蔽があったのか――。真相を探るべく、ご本人に取材を試みた。

「国際刑事裁判所は、聖職者による性虐待を人道上の重大な犯罪の一つとしています。被害者が廃人になったり自死してしまうケースもある。被害に遭ったのに犯罪者のように息をひそめて生きるなんて絶対おかしい。聖職者による性虐待を終わらせるため、被害者には勇気をもって声を上げてもらいたいのです」

 彼女は力強い眼差しでそう語り、空白の40年を埋める言葉を紡ぐのだった。

「私は中学卒業後、親元を離れて宮城県内の准看護師養成所に入りました。が、ホームシックになったことでプロテスタントの教会に通うようになり、16歳で洗礼を受けました。准看護師となり病院で働き、教会に通っていた私は、同じ信徒の男性と恋に落ちて結婚前に妊娠してしまったのです。プロテスタントの長老から非難され、それが嫌になってカトリックに改宗しました。当時のカトリック教会の司祭は穏やかで品のある方で、“同じ過ちを繰り返さなければいい”と言ってくださったのです」

 彼女は19歳でその男性信徒と結婚。無事に出産を経て、2人目の子どもも授かった。しかし……。

自分が教会を汚した

「夫が暴力を振るうようになったのです。警察にも病院にも相談したのですが、頼りにならず、私にとっては教会だけが救いでした。職場での悩みで眠れなくなってしまったこともあり、新しく教会に赴任された司祭に相談をしました。私より10歳ほど年上で、“自分は酒も飲むし麻雀もやるし、庶民的な神父だ”と言っていたこともあって、話をしやすかったのです」

 その司祭が、今回、被告となった人物。1977年、彼女が24歳のときである。

「教会内で個人的に時間を割いてもらって過去に2度、相談していました。3度目の前日、司祭が夢に出てきたのです。私がそれを司祭に伝えると突然抱きつかれ、“私もハルミさんの夢を見ました”“後悔しないね”と耳元で囁かれました」

 そして抱きかかえられ、抵抗できぬまま、司祭の部屋に運ばれて……。

「同意なき性交を強いられたのです。あまりのショックに、性的暴行を受けた直後から私の記憶はいまだに戻りません。司祭と何を話したのか、どうやって家に帰ったのかも憶えていないんです。司祭は神の代理人。そんな人がなんてことをするのか。被害後、“自分が教会を汚してしまった”と罪の意識に苛まれるようになりました。世界一の重罪人になったと感じ、生きている自分を恥じて責めました。教会を愛していたので、あちこちの教会に行きましたが、どこに行っても涙が出て止まらなくなり、息が苦しくなったのです」

 心的外傷後ストレス障害、PTSDだった。この被害を境に、彼女の人生はさらに暗転する。

「精神的に追い込まれた状態が続き、常に死にたいと思うようにもなりました。それでも正看護師となることはでき、仕事は続けていたのです。しかし、アルコールやパチンコなどのギャンブルの依存症となり、対人関係もうまくいかない。最初の夫と別れ、別の男性と結婚しましたが、うまくいかず離婚してしまいました。10年ほど前、カトリックに戻れば苦しみから解放されるかもしれないと思い、県内の別の教会に行き、そこで初めて被害を明かしたのですが、そこの司祭からは“遊ばれたんでしょ”などと言われてしまい、さらに絶望し……。双極性障害(註・躁うつ病)を発症して入院しました」

 そんな日々に、変化が訪れたのは5年前。

「ある精神科医に被害を打ち明けたら、“あなたは悪くない”と言ってもらいました。それでようやく勇気を持つことができ、16年、カトリック教会側に被害を申告しました。同時期に、精神科医から勧められて『スポットライト』を観たのです。映画で聖職者による性的虐待被害者のネットワーク『SNAP』を知り、参加させてもらいました」

 彼女は日本でもSNAPの支部を作るために奔走し、

「被害者が声を上げられるよう、活動してきました。そして被害を世論に問い、公の場で決着をつけるべきと考え、訴訟の準備を進めてきた。もし司祭と法廷で対峙したら、“この世を去るとき、神の前でどのような言い訳をなさるつもりですか?”と問いたいです」

 彼女は裁きを神ではなく司法に委ねた。その闘いは、後世に語り継がれるものになるか。

週刊新潮 2020年10月15日号掲載

特集「カトリック聖職者の『性的暴行』を告発した『女性信徒』空白の40年」より

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