流行りの「DX」と「IT化」は同じ意味? 50年前から議論されている「情報化社会」論(古市憲寿)

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「DX」という言葉が流行している。この場合、豪華(デラックス)という意味ではなく、「デジタルトランスフォーメーション」のこと。論者によって定義は違うが、要は「デジタル化を進めていきましょう」という話だ。少し前まで「IT化」や「情報革命」という言葉で語られてきた内容と大差がない。

 こんなふうにまとめると、DX推進論者は怒るはずだ。おそらく彼らはこんな反論をするだろう。「DXと単なるデジタル化やIT化は違う。DXとは単なる技術革新を指した言葉ではない。IT技術を使って、企業のあり方やマインド、人々の生活スタイルまでを変えようとするのがDXなのである。乱暴にまとめるな」と。

 まあ、言いたいことはわかる。省庁が目指すハンコ廃止の議論を例にするならば、全てのハンコを電子印鑑に置き換えれば一応「デジタル化」は達成されたと言える。しかし稟議のために何度も電子印鑑の「捺印」を求められたり、「電子印鑑でもお辞儀に見えるように左に傾けて押せ」というような謎マナーが生まれてしまったら、業務自体は全く効率的にならない。

 本当のDXのためには、「下からの提案をどんどん通していく」「ハンコを押すことが主な仕事の中間管理職を解雇していく」「失敗した場合、責任の所在を明確にしておく」というように組織風土そのものを変える必要がある。

 まあでも、そんなことは昔の人もわかっていた。

 半世紀前には「情報化社会」論や、「脱工業社会」論が流行している。経済企画庁の官僚だった林雄二郎は『情報化社会』の中で、大企業や政府を批判し、「“ハードな社会”の価値体系は徹底的に変えなければならない」と主張していた。現在のDXにもつながる内容だが、本の出版は1969年である。

 DXとIT化の違いを偉そうに語る書籍やウェブ記事は多いが、「週刊新潮」の読者からすれば些末なことに見えるはずだ。

 その直感は正しい。

 そもそも「情報化社会」論も「IT革命」も「DX」も、議論の核は「技術を使って社会を変えていきましょう」という点にある。だったら無駄な新語など必要ない気もするが、違うのだ。「新しいことをしましょう」「世の中を変えましょう」と主張する時に、「情報化」や「IT化」という手垢のついた言葉は似合わない。

 そこでこのたび発見されたのがDXである。つまり、こう言い換えることもできる。DXが流行しているのは、DXという言葉が新しいからに過ぎない、と。だから「DX」と「IT化」の議論が似ているのは当然なのだ。些末な差異を大きく見せないと新語として説得力がない。そのような苦悩がDX論の裏側にあるのだ(もちろん、ただ流行に乗せられているだけの思慮の足りない人もいるだろう)。

 予言しよう。5年後も10年後も50年後も、人々は新しい言葉を見つけて、今日の「DX」と同じような議論をしているはずである。そして、このエッセイのような皮肉を誰かが書いているのだろう。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年10月15日号掲載

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