ヤメ芸人の転職を支援 元芸人の社長が語る人材紹介会社を設立のワケ

ビジネス

  • ブックマーク

Advertisement

“夢諦めたけど人生諦めていない人のために”――2018年に設立された「株式会社俺」(東京都千代田区)は、こんな経営理念を掲げる人材紹介会社だ。社名もさることながら事業もユニークで、サービスのひとつ「芸人ネクスト」では、元お笑い芸人の転職支援を行っている。自身も元お笑い芸人である代表取締役の中北朋宏氏(36)は、「年間3000人がお笑い芸人を志しますが、その99・9%は売れることなく夢を諦める。厳しい世界です」と話す。

 ***

 芸人たちは、何をきっかけにその道を諦めるのだろうか。中北氏がいう。

「見切りをつけるタイミングは3つあります。1つ目は、僕の相方がそうだったように30歳という区切りです。2つ目は、33~35歳ごろ、結婚を機に辞めるというパターンです。芸人はなぜかその年齢に結婚する人が多いのです。3つ目は、芸人になって5年や10年の節目の年である23歳や28歳で辞める場合です」

 彼らのセカンドキャリア支援を行うのが、中北氏の会社というわけだ。利用者の多くは30歳以下の若手で、転職先はIT、メーカー、損害保険会社、不動産などさまざま。現在までに8名の元お笑い芸人のほか、元アイドル、元女優が一般企業へ転職したという。新しい仕事の年収は350~400万円ほど。上場企業や大手企業に転職した人もいるそうだ。

「当社を利用いただいている企業様には、従来の中途採用のやり方では、どうしても似通ったキャラクターの人材ばかりが集まってしまうというお悩みがあります。その点、元芸人を採用することで、社内の人間関係の活性化につながるというメリットもあるのです。また、持ち前のコミュニケーション能力を生かして、入社後No.1の営業成績を残す方もいらっしゃいます」

 お笑い芸人は、ウケるかウケないかのシビアな世界で生きている。芸を磨く中で自らを否定され続けるため、良い意味でプライドが折れている人が多く、会社員として働き始めても、抵抗なく環境を受け入れるという。加えて、コミュニケーション能力や発信力、傾聴力などもある。

 そうはいっても、”夢を諦めた人たち”は、簡単に気持ちを切り替えて次へ進めるものなのだろうか。

「相談にいらっしゃる方のモチベーションには、大きく分けて3パターンあります。1つ目はテンションが上がらずやりたいことも見つけられないパターン。2つ目は、芸人として培ってきたバイタリティをうまく転職活動へ注ぐことができ、次の仕事へ興味を向けられているパターンです。3つ目は、稀ですが、奥さんがすごくしっかりしていて言われた通りにこなすというタイプの人もいます(笑)」

 同社が行うのは単なる転職先の紹介だけではない。面接練習や志望動機の作成を手伝うのはもちろんのこと、一般企業でも活躍できるようにExcelやWordなどのパソコンスキルの習得をサポートしたり、ベストセラーにもなった『このまま今の会社にいていいのか?と一度でも思ったら読む 転職の思考法』(著・北野唯我/ダイヤモンド社)などの“課題図書”を読んでもらったりしているという。もっとも、元芸人はどのような仕事があるのかを知らない人も少なくない。「営業職」と聞いて「=過酷な飛び込み営業」と思ったり、年収希望で「1500万をすぐに稼げるような仕事」など伝えられることもあるそうだ。実現が不可能なわけではないが、それ相応の努力は必要となる。それでも、過去のこんな経験が、中北氏のモチベーションになっている。

「私が芸人を辞めて仕事を探していた時、人材会社の方から『あなたの学歴と職歴では紹介できるところなんてあるわけないじゃないですか』と半笑いで言われました。夢は諦めたけれど、なんで人生まで諦めなければならないんだ、と。お笑い芸人を何年やっても、辞めてしまえば、履歴書の上では『就労経験ナシ』とされてしまいます。私のビジョンは、芸人という仕事が、営業職、デザイナー、エンジニアのように職歴として認められる世の中をつくることなのです」

 転職支援の「芸人ネクスト」と共に「コメディケーション」も収益の柱にしている。こちらは、笑いのメカニズムを活用し、組織の心理的安全性を高める取り組みをしているという、これまたユニークな企業研修だ。

NSCから浅井企画へ トリオ芸人のツッコミだった

 中北氏は三重県伊勢市生まれ。小学校2年生のときに吉本新喜劇にのめりこみ、土日のたびに舞台へ足を運んでは観劇に没頭する少年時代を過ごした。その憧れは、いつしか「自分も誰かを笑わせたい」という想いにつながっていく。

「小学校2年生のときの給食の時間、クラスメイトを笑かして牛乳を吹かせるのが楽しくて、学校の行き帰りに『今度は何で笑かそうか』ということばかり考えていました。そのとき、自分がやっていることはお笑い芸人がネタを考えるのと同じだと気づいたんです。『将来はお笑い芸人になって、ステージの上で大勢の人を笑かすぞ』って、心に決めました」

 その後、大学を中退し大阪の吉本総合芸能学院(NSC)へ。同じ29期には、渡辺直美やジャングルポケットがいる。卒業後は浅井企画に所属し、トリオ「惑星NO.3」のツッコミ担当として活躍するが、年齢を重ねるにつれて将来への不安が募っていった。

「お笑い芸人としては6年間活動していましたが、27歳のとき、このまま売れないままだったらどうなるのだろう?とふと思ったのです。自分なりに計算してみたら、芸人を続けて得られる収入は、マックスで月15万円だったんです。食えなくはないけど貧乏な生活を強いられるであろうその金額に、将来に対する不安を感じました。2歳年上の2人の相方が『30歳になるまでにある程度売れなきゃ辞める』と明言していたこともあり、トリオを解散することにしたんです」

 夢を諦め、会社員の職を探し始めた中北氏だが、すぐに壁に突き当たった。

「最初は人材紹介の会社を志望して、転職エージェント経由でいくつか面接に行きました。が、行く先行く先イマイチな会社ばかり。ある企業の面接では、役員が薄汚れたYシャツを着て何日も寝てない様子で出てきて『いかにもブラック企業だな……』と」

次ページ:人事コンサルからスタートアップ、そして起業

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。