元男性の尼僧が作った“性的少数者の駆け込み寺” 読売記者から転身の壮絶半生を語る

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 大阪は京阪電鉄の守口市駅から7、8分南に歩くと住宅に挟まるようにたたずむ大徳山浄峰寺・別名性善寺(しょうぜんじ)がある。真言宗の尼僧柴谷宗叔(そうしゅく)さん(66)が住職だ。「性的少数者の集える駆け込み寺」として2年前からここを拠点にする。「新型コロナで出鼻をくじかれてるんですよ」とこぼす女性の壮絶な半生とは。

 大阪府寝屋川市生まれ。男として育てられたが小学校でも野球やサッカーにも興味が持てなかった。「かといって女の子も遊んでくれない。家で本ばかり読んでいたので成績は良かったですわ」。ある時、母親の服をこっそり着たら近所の人に密告され、父親に「男の子らしくしろ」と殴られた。1960年代当時、性同一性障害の言葉もなく誰も理解しない。

 中学生、高校生になっても女の子を好きになる感情もない。詰め襟の制服が辛かっただけだ。「モロッコで性転換手術を受けた美しいカルーセル麻紀さんが憧れでした」

 早稲田大学文学部時代は「女装クラブやゲイバーに通い、そこでアルバイトもしたけど、女装をした男が好きという感じの人が多く、違和感がありました」。卒業して読売新聞社の記者になる。「地方支局時代は服装も自由ですが、大阪本社の経済部では財界のお偉方にも会うので背広にネクタイ。長い髪も上司に切るように言われました。髪は女の命やのに」。

 解雇を恐れて会社の仲間にも告白しなかった。ある時、労働組合の旅行で西国巡礼の一番青岸渡寺(和歌山県)を訪れて「お遍路さん」にはまる。「納経帳に判を押してもらうスタンプラリー。もともとドライブ好きで四国八十八箇所巡りも重ねました」。宗教心もないまま始めたが、そのうち観光客らを案内する「先達」ができるようになり、資格も取った。

人生変えた阪神大震災

 1995年1月17日早朝、大地が揺れた。阪神・淡路大震災。自宅は神戸の東灘区の中古の一戸建てだが寝屋川市の実家にいた。災害報道で連日の会社泊まり込みに。電気が復旧すると聞き火事を心配し自宅に駆け付けたら完全に崩壊していた。近所の女性が「死んだと思ってたわ。行方不明者扱いになっとるよ」と泣いて無事を喜んだ。「柴谷は生きてます」と札を立て慌てて区役所に行った。

 ある時、瓦礫からボロボロの納経帳が見つかる。柴谷さんの全身に電気が走った。すぐ近くで阪神高速道路が倒れ、地域では大勢が犠牲になった。「自宅なら間違いなくお陀仏。納経帳が身代わりになってお大師様(弘法大師)が守ってくれたと思ったのです」。

 この瞬間から「偽りの半生」と決別し自分らしく生きることを目指す。お遍路仲間の勧めで高野山大学の社会人コースに通い、51歳で新聞社を退社した。「四度加行(しどけぎょう)」という厳しい修行を経て05年に僧籍を取った。しかし尼僧になるには僧籍簿の性別変更が要る。前年に戸籍の性別変更を認める法律が制定されていたが真言宗では初のケース。「宗議会にかけるとややこしくなる」とうまく取り計らってくれた宗務総長は「残念や」と惜しんだ。密教学で博士号も取り四国遍路に関する優れた研究書や入門書も著わす秀才だったからだ。とはいえ明治時代まで高野山は女人禁制で男尊女卑が根強い。「今も尼僧は山内住職など要職に就けず、一部の行事に尼僧は参加できません」(柴谷さん)。

 56歳で性別適合手術(SRS)を受け、心身ともに女性となった。すでに父は他界。母は「親不孝者」と嘆いたが、当人は「旅館で女風呂に入れることが一番嬉しかった」と、言う。

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