6千万人目に届く活動を作り上げる――湯浅 誠(全国こども食堂支援センター むすびえ理事長)【佐藤優の頂上対決】

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6千万人目

佐藤 私の場合、フェーズ1は、東京地検特捜部に逮捕されたことですね。もし捕まらなければ、大宅壮一ノンフィクション賞をいただいた『自壊する帝国』だって、版元になった新潮社も他の社も引き受けてくれなかったと思うんですよ。執筆当時は起訴され、裁判中でした。本気で外務省と戦っていましたから、当然、反権力です。でも、いつまでも拳を振り上げているだけでは、暮らしていけない。フェーズ2で私に用意されたテーブルは、資本主義社会という条件下での作家です。そこで売れる文章を書いていく。きちんとした売文業者になれるかどうか、そこは意識してやってきました。

湯浅 佐藤さんは当初、左派系から右派系の雑誌まで、多方面で文章を書かれていました。それを見て、ブランディングされているのだろう、と思いましたけれども、そこにはどんな意図があったのですか。

佐藤 あの頃は裁判も抱えていたし、外務省とも本気で喧嘩をしていましたから、右からも左からも弾を撃てるようにしておこうと思ったのです。検察はまだ一定のルールのもとでやっていますから、はっきり言ってそう怖くはない。取り調べがあって、起訴して、裁判がある。それは手順通りに進みます。でも外務省は本気で私を潰しにきましたから、何が起きるかわからない。だから左からは機関銃、右からは小銃と、できるだけ多くのところから闘えるようにした。絶対に相容れない価値観の雑誌以外は、どこでも書きましたね。

湯浅 「情況」にも書いていましたね。

佐藤 あの新左翼系の雑誌は、一時期、刊行されなくなりました。

湯浅 昔は左派系論壇、右派系論壇と書く人が分かれていましたが、いまは多少混ざってきた気がします。それは佐藤さんが切り拓いたことではないかと思います。

佐藤 ありがとうございます。

湯浅 私も右左関係ないところで、「6千万人目」に思いを届けたいという言い方をしてきました。

佐藤 国民の半分ですね。

湯浅 参与の時に自分で作り出せた予算は60億円でした。これは国家の一般会計予算の1万6千分の1です。あれだけがんばって1万6千分の1かと思いました。もちろん参与というアドバイザーの立場で、しかも3年足らずの時間でたいしたことができるはずがない。でも私としてはもっと支援の仕組みを作りたかった。だから挫折とまで言うと大げさですが、この点でもこのままのやり方ではダメだと強く感じました。

佐藤 湯浅さんの活動は、いつも難しい方に向かっていく。100万人の世界に安住せずに6千万人に向かうこともそうですが、貧困問題でも、絶対的貧困から相対的貧困へと踏み込んでいった。

湯浅 これも先ほどのフェーズ1、フェーズ2の問題に重なるのですが、貧困の問題を理解してもらうためには、初めはどうしても尖った事例を出すしかない。中途半端な事例だと、それで貧困なのか、と叩かれてしまいますから。

佐藤 それはそうでしょうね。

湯浅 でも数として多いのは、相対的貧困の大人であり、子どもです。彼らは他の人と同じような格好をしているし、極度に太ってもいなければ、痩せてもいない。街ですれ違ってもまったくわかりません。ただ崖っぷちで生きていて、何かの拍子に病気になったり事故があったりすると、一気に生活が成り立たなくなる。

佐藤 湯浅さんは、相対的貧困について、「許容範囲の格差」と「過度の格差」の境界を示すメルクマール(目安)だと書かれていますね。

湯浅 周りと比べて落ち込みがあれば相対的な貧困です。現代の貧困は経済的な厳しさに社会的な孤立が結びついています。ただ極端な事例を出したことで、その人たちを見えなくさせてしまった。そこは何らかの形で手を付けたいと思っていました。こども食堂に深く関わるようになったのは、そこにつなげられるからです。

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