男を凌ぐ女性経営者たちの栄枯盛衰…時代を作った「強い女たち」列伝5

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「9時から5時までオフィスで働いている人は…」

「日本株式会社」は依然として男社会である。「男女雇用機会均等法」という法律が作られるくらいにそうなのだが、その一方で女性が経営する会社は全国に6万社もあるという。日本の企業に飽き足らないものを感じた「勁(つよ)い女」たちが、経営者として台頭してきたのは時代の必然でもあったのだが、ファナティックとも言える彼女たちの一心さは、ちょっと真似が出来ない。

(※「週刊新潮」2001年6月14日号に掲載された記事を再編集したものです。肩書や年齢は掲載当時のものになります)

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 米国の作家、ディーン・クーンツはミリオンセラーを連発する大金持ちだ。そのクーンツがこう書いている。

「9時から5時までオフィスで働いている人は、飢えることもない代わりに、けして金持ちにもなれない」

 金持ちになるためには、組織から抜け出して何かを始めなければならない。確かにその通り。そして、それこそが戦後日本における最大の冒険でもあった。わが国の成功者たちは、終身雇用や年功序列といった、有り難くもまた微温湯(ぬるまゆ)的な制度に背を向けた人たちなのである。

 立派だよなあ。けどまあ、分かっちゃいるけど辞められない。それがスーダラ社員ってやつだ。不況だしね。

 女性の場合は、ちょっと事情が違う。半世紀前までは、彼女たちは組織に属することさえままならなかった。生きていくためには手に職をつけるか、男にどっぷりと依存するしかなかったのである。

〈40年間お待たせしました〉

 昭和36年11月、1ページを丸々使った大広告が新聞に掲載された。広告主は「アンネ株式会社」。本邦初の生理用ナプキンの広告だった。

電機屋に入ったはずがナプキン屋になり、宣伝課長は…

 1921年、米国のキンバリー・クラーク社が「コーテックス」というナプキンを発売してから、ちょうど40年目に発売された「アンネナプキン」は、発売と同時に品切れ店が続出する騒ぎとなり、弱冠27歳の女社長、坂井泰子(よしこ)を一躍有名にした。

 坂井泰子は、それまでは市井の発明を企業に紹介するサービス会社を経営していた。ある日、発明品として持ち込まれた紙製生理用品を目にした彼女は、自らこれを商品化してみようと思い立つ。14歳で初潮を迎えてから、彼女自身、月のものの処理にずっと悩まされ続けてきたのだ。

 出資者を募るために企業に手紙を出すと、ソニーや松下から返事が届いた。とりわけ熱心だったのがミツミ電機である。1億円の出資を決めた社長の森部一は、後にこう語っている。

「生理用品の需要者は全国で3000万人。このうち、1割の占拠でも300万人で、これが毎月ときている。どんな商売でも2月、8月という冬枯れ夏枯れの谷間があるが、この商品に限っては、まったくこの心配はない」

「アンネの日記」を愛読していた坂井泰子は社名を「アンネ」とし、社長に就任する。東大卒の夫秀弥も三井物産を退社して常務に収まった。

 気の毒なのは、「アンネ」に出向させられたミツミ電機の社員だ。電機屋に入ったはずがナプキン屋になり、実際の使用状況を分析するために、使用済み生理用品の回収までする羽目になったのである。

 宣伝課長に就任した渡紀彦は、東京商工会議所の女子トイレに忍び込んだ時の苦労を回想録にこう記している。

〈私は、閉口しながらも、即席のマッチの棒とトイレットペーパーを操作して、一番代表的なものを二つばかり取り出した。

 ペーパーにまかれたこの異様な荷物を持って歩くわけにもいかない。仕方なくワイシャツのボタンをハズし腹の中にしまい込んだ。押さえつけると滲んできそうな気がする。私ははれものにさわるように、前かがみでそこを飛び出した。……こうして、私の婦人トイレの遍歴がはじまった〉

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