男を凌ぐ女性経営者たちの栄枯盛衰…時代を作った「強い女たち」列伝5

ビジネス

  • ブックマーク

Advertisement

雑誌にはノーヘルでバイクを走らせる少女の写真も載っている

〈むかし“暴走族”いま年商60億350人を率いる女社長〉

 昭和56年の女性週刊誌の見出しにはそうある。雑誌にはノーヘルでバイクを走らせる少女の写真も載っている。

 アートコーポレーション社長――あの「アート引越センター」の寺田千代乃(54)だ。会ってみると小柄で、なかなかチャーミングな女性である。

〈「誰が引越しなんかにカネを払うもんか」。まわりの大反対を押し切り寺田は決断。日本初の引越しサービス業が誕生する〉

「今でこそ、宅配とか引越しは認知されてますけど、当時は家庭と運送事業が結びつくというのはあんまりなかったんです。時代が変われば、商業物流はそのうち絶対よくなるとは思ってたんですよ。でも、やってみると自分で荷物を作れるし、これが面白い。社長になったのは、欲を持って自分の仕事としてやればいいじゃないか、おまえならできる、という主人の提案からでした。いま女性が経営している会社は6万社あるわけですが、社員とコミュニケーションとりやすいとか、メリットも色々とあると思います。経営責任の場面では男女は関係ない」

〈大企業社長の他に日本のトップ経営者が集まる関西経済同友会の委員としての顔も〉

「当時(昭和63年)、同友会というのは、本当に、どうゆう会? というくらいでね。パーティーでも、よくコンパニオンに間違われたりしました。先に記者発表されていたらしく、ノーは言えない状態だったので、「社業を優先しますよ」とご了解戴いた上で、入らせて戴きました」

〈創業した昭和52年から6年間に70倍の急成長〉

〈創業3年後に自ら作詞したCMソングや「0123」の電話番号が話題に〉

「タイミングもよかったんです。それまで、引越しは隣近所や職場で手伝って何とかなってたんですよ。それが、団地がブームになりましてね、階段は狭い、エレベーターはないということでね。高度成長の終わりで、普通の家庭にピアノが入り出して業者を頼まなければいけないということになった。時代の追い風もあったんです」

「2×4」工法を紹介した元衆院議長の娘

 わが国に「2×4」工法を紹介した松田妙子(73)は、衆院議長を務めた松田竹千代の娘である。

 昭和29年に、南カリフォルニア大学に留学し、NBCテレビに勤務。帰国後、PR会社を興した彼女は、いざ自分の家を建てようと考えた時、日本の住宅の後進性に失望し、39年に住宅建設会社「日本ホームズ」を創設。高度成長の波にも乗り、数千軒の家を建てる。

 住宅ブームが沈静化すると、会社を人に譲って『住宅産業研修財団』を設立し、理事長に就任。鮮やかな転身ぶりも話題になった。

「何でも新しいことが好きなのよ。アメリカでテレビのプロデューサーになったのも東洋人で初めて。続けていたら大プロデューサーになってたかもしれない、って言われたわ。テレビの仕事を選んだのもそうだし、帰国してPR会社を始めたのも、よいものを世界に知らせたいと思ったから。仕事は次から次にきたわ。日本の住宅は高いし、良くない。だから住宅をやって、いまは少子化で労働力が足りない、ということで生涯学習を手がけているのよ」

 この人の意見は強烈だ。

「仕事だって一生続けていかなかったら、じゃあ何するの。生きている限り働いて、社会と関わりを持ち続けるのは当然のことじゃない。お金儲けとは違う、社会と関わりを持つということです。主婦だって、仕事として主婦をしていればいいじゃないの。何もしない主婦がいるからいけないのよ。安楽なのって、どこがいいのかしら。甘えすぎよ。甘えすぎ、遊びすぎ、ものボケ、欲ボケね。リタイアして、何もしないんだったら早く死んでもらいたいわね。いまの日本はそんな余裕がある状態じゃないんだから。女性の経団連みたいなの作ってくれとか、そういう話もきましたよ。でも、ああヤダヤダ、私、女性の集まりが嫌いなのよ。女という枠で考えることは全然ないの」

 働かざる者、生きるべからず、ってことか。(敬称略)

2020年8月29日掲載

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]