GHQ将校に媚を売った上流婦人たち…強い女たち列伝3

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

『おとこの味』という恐るべき本を出版したマダム鳥尾

 秀駒こと小林峯子は、18歳で芸者になり、あっという間に新橋一の売れっ子となって、20歳の時には銀座に置屋を構えるまでになっていた。飛ぶ鳥を落す勢いだった秀駒は、昭和電工の社長、日野原節三の愛人だった。が、昭和23年6月、日野原は商工省課長らへの贈賄容疑で逮捕。これにより芦田均内閣は総辞職し、芦田自身も逮捕される。

 これが、戦後史に名高い「昭電疑獄」である。多額の賄賂を渡した見返りに、昭和電工は復興金融公庫から実に23億円もの不正融資を受けていたのである。

 パトロンの逮捕に焦った秀駒は、メロンをもって鳥尾多江のもとを訪ね、「日野原を助けてほしい」と懇願する。手土産はメロンだけではなかった。現金100万円を差し出し、ケーディスへの口添えを頼み込んだのである。

 そもそもこの事件は、多江が夫の事業の資金繰りについてケーディスに愚痴をこぼしたことから発覚したのだった。多江の話から復興基金の融資体制に疑問を抱いたケーディスが部下に調査を命じ、検察に捜査を指示したのである。

 ケーディスの追い落としを図っていた吉田茂は、この一件にからんで、日野原・秀駒ラインからケーディス・多江に多額の現金が渡ったとマスコミにリークする。しかし、多江は秀駒の依頼を一蹴していた。彼女はこの芸者を嫌っていたのである。帝国ホテルの美容室でたまに顔を合わせる秀駒は、ミンクのコートやダイヤの指輪をチラつかせる、いけ好かない女だった。

 ケーディスは、多江の尾行を命じた警視庁の刑事部長、藤田次郎を京都に左遷し、あっさりとこの問題にケリをつけた。マッカーサーのお気に入りであるケーディスとその愛人にかなう者は誰もいなかったのだ。

 昭和30年、銀座にバー『鳥尾夫人』をオープンさせ、「マダム鳥尾」と呼ばれた彼女は、44年、『おとこの味』という恐るべき本を出版する。

正に占領下の女帝だった

〈文章には、どんな短いものにも起承転結があって、それがなければいい文章にはならない。女の身体も同じことである。男の人が、火をつけ(起)あおいでくれて(承)燃えあがらせて(伝)消して(結)くれなければ、完全な女の喜びは得られないからだ。が、そんな男の人は少ない〉

〈ケーディスはセックスも含めて満点に近かった。ワタシの知っている男性では最高だった。ワタシたちは、かたい結婚の約束をかわしていたが、マッカーサーとホイットニーの忠告で、彼はそれを断念しなければならなくなった〉

 日本の男には飽き足らなかったのか、彼女は世界を渡り歩いてセックスをし続け、仏、伊、米、英、独と上位5カ国のランク付けまでしている。

〈強さという点だけだったら、ドイツ、ユーゴ、ポーランドで、それより強いのはソビエトだというが、ワタシはソビエト人は知らない〉

〈女を夢中にさせる男というのは、奥さんがいて、それにきまった愛人もいて、さらにすんなりとつまみぐいもできる男のことで、それをなんの破綻もなくおこなえる人でなければならない。それには、経済力、体力をそなえていて、しかもアタマがよくなくてはできない。ワタシは、こういうことのできる人を甲斐性のある男だといいたい〉

 GHQロビーで「影の女王」と呼ばれた鳥尾多江は、正に占領下の女帝だった。ケーディスが帰国すると、当然のことながら誰も彼女を恐れなくなったのだが、この元子爵夫人もまた何物をも恐れてはいなかったのである。(敬称略)

2020年8月13日掲載

前へ 1 2 3 4 次へ

[4/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。