GHQ将校に媚を売った上流婦人たち…強い女たち列伝3

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「奥さんを拝借したい」

 GHQ高官と噂された上流夫人は、例えばG2部長のウィロビーと荒木光子(44)、さらに烏尾多江の同級生だった鍋島京子。ケーディスの部下ハッシー中佐は太田芳子。他にも公爵一条家の出である鍋島重子、目賀田正子……等々、華やかな限りである。

 ケーディスと鳥尾以外はどれも噂の域を出ないのだが、楠瀬幸彦陸軍大臣(第一次山本権兵衛内閣)の長女である島村寿(43)は、「ESSマッカート少将の婚約者」を自称し、約800万円を詐取したとして、昭和30年に逮捕されている。これは、「GHQの女たち」の話が、巷間かなりのリアリティをもって語られていたからに他ならない。

 大倉財閥の2代目当主、喜七郎の娘で、旧男爵家に嫁いだ目賀田正子(33)は、鳥尾多江、鍋島京子とともに「学習院の三羽烏」と呼ばれた女性である。学習院の出身だったことから、彼女たちはパーティー仲間の間で「学習院グループ」と呼ばれていた。

 その目賀田正子は、かつて本誌に、こんな驚くべき話をしている。

「太田芳子さんのご主人が勤務していた横浜正金が終戦で潰れちゃったのね。で、東京銀行を設立するために、太田さんたちは必死にGHQに働きかけていたんです。ある日、太田さんがうちの主人に、ひと晩、奥さんを拝借できないか。と言いに来たの。実はGHQの銀行担当の将校がパーティーで私を見かけて、“ぜひ一度お話ししたい”ということだったの。場所は築地の『雪村』というお茶屋さん」

 太田輝夫はなぜ交渉の場に人妻を同行したのか。

「太田さんたちはご飯を食べながら、東京銀行設立の交渉をしていました。その時、私がその将校に“OKしてあげたら”と言ったら、将校はサッとサインしたんです。おかしかったのは、帰りの車中。その将校がしきりに“ホットだ”って言うのね。ホットは暑いという意味の他に、気持ちが燃えているという意味もあるでしょう。それなのに私は“今日は暑いわね”なんて知らん顔して、“さよなら”と車を降りたの。将校は憮然としていたわね」

座興のつもりで、「バンク・オブ・トウキョウ」と答えたら

 いい加減な憲法を作ったばかりか、GHQの将校は、人妻に発情してよけいな銀行まで作っていたのである。

 まんまとサインをもらった太田輝夫の妻芳子は、しかしながら「学習院グループ」のご婦人方がお嫌いだったようで、生前、やはり本誌にこんなことを言っていた。

「鍋島京子さんの家ではしょっちゅうパーティーをしていました。アメリカ人に色々と便宜をはかってもらうためだったのでしょう。京子さんにも親しいアメリカ人がいましたが、ご主人もプレイボーイでしたね。烏尾さんはご主人が斜陽貴族で奥様は大変な美人でしたから、その魅力を売るのも仕方がなかったと思いますが、大臣などが口利きを頼みに来るので威張って、私などには口も利いてくれませんでした。ともかく、烏尾さんとか鍋島さんたちは遊び暮した連中ですよ。女子学習院のお嬢様たちは、いいところのわがまま娘ですからね」

 その口調から察せられるように、太田芳子は大変に怖い人である。生前の彼女と交友があり、その評伝を「新潮45」に発表した作家の松原一枝もこう言う。

「芳子さんは、夫とはどんなことがあっても離婚しないと言っていました。夫の女を見つけると、“硫酸をぶっかけてやる”と脅すそうです。それって本気なの、と訊ねると、“そういう時はいつも真剣勝負よ”と言っていました。学習院出身でも華族でもない彼女が、結果的にパーティーでは一番の人気でした。上流夫人が金にあかして装うのをあざ笑うかのように、古着とバロックの真珠でパーティーに出て、それでも彼女は少しもひけをとらなかった」

 ある時、パーティー会場で酩酊していたダンス・パートナーから、「ミセス太田はどんな銀行名を好むのか」と訊かれた芳子は、座興のつもりで、「バンク・オブ・トウキョウ」と答えた。この結果、新銀行名は「東京銀行」となったという。

 GHQの銀行部門の将校は、「トバシ」とやらで会社を潰した、あの山一證券の幹部よりもいい加減な連中であったと断言していいだろう。

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