ソフトボール・宇津木監督に聞く “速射砲ノック”誕生秘話(小林信也)

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「本気で“世界に勝ちたい!”と思ったのは21歳の時。初めて日本代表に選ばれて出た世界選手権の時でした」

 今でも「監督」と呼ばれる宇津木妙子が言う。

「決勝のアメリカ戦、私は最終回に代打で起用されました。マウンドには、180センチ近くあるジョーン・ジョイス投手。日本はジョイスの前に三振の山。ヒットはたしか1本しか打てませんでした。ジョイスのボールは変化球ばっかり。ライズボール、ドロップ。日本では見たことのないキレと変化。とにかくすごかった。

 私は手も足も出ませんでした。ボールが見えなかった。3回バットを振って、クルクル回って帰ってきました。それからです。本気でソフトボールに取り組もう、世界に勝ちたいと火が点いたのは」

 しかし、宇津木が衝撃を受けた4年後も8年後も、政治的な問題もあって日本代表は世界選手権に出場できなかった。選手・宇津木妙子は最も輝ける時期に世界の舞台で活躍する場を得られなかった。

 監督として異様なまでの執念と情熱で日本代表を導いた宇津木監督の原動力はその悔しさにあるのかもしれない。

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