紙を使って自動車も薬も作る製紙会社へ――矢嶋進(王子HD代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決】

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グローバリズムのDNA

佐藤 いま海外売上高が全体の30%とのことですが、グローバル化が本格化したのはいつくらいですか。

矢嶋 印刷情報用紙がピークを迎えた少し後の2008年くらいからでしょうか。号令をかけると一斉に動き出しました。いまは売上高比率50%を目指しているところです。

佐藤 戦前の王子製紙は国際化された会社でした。会社のDNAにグローバリズムが組み込まれているから、一気に進んでいるのではないですか。

矢嶋 なるほど。

佐藤 私は戦後、日本で初めてサハリンに入った外交官なんです。1994年のことです。その時、現地の人から王子製紙の名前を何度も聞きました。戦前戦中の王子製紙の工場がまだ稼働していたのです。そこでは王子製紙の技師たちが抑留された話も聞きました。

矢嶋 戦前は樺太にも満洲にも工場がありました。何代か前の経営者はそういう一種のノスタルジアを秘めて働いていましたね。私の上司のご尊父は戦前の王子製紙にいて、北海道でサハリンからの引揚者の受け入れ窓口をやっていたそうです。

佐藤 そのDNAが受け継がれている。

矢嶋 経営者がそういう視点を持っていた、ということはあるでしょう。あまり海外に進出していない時期でも、入社して1、2年目の社員をアメリカの大学に留学させてMBA(経営学修士)を取らせていました。

佐藤 最近、MBA無用論を言う人がけっこういますが、やっぱりMBAは重要ですよ。アメリカのロースクールやビジネススクールは、日本で言う大学院ではなくて、高等な専門学校です。ビジネススクールは企業価値の計算をしたり、簿記を徹底的にやったり、実業学校の延長上にあります。だから高度な実務家を養成するとなったら、MBAを取らせたほうがいい。

矢嶋 そうした実務に加え、海外で何年か暮らすことで、外国人に対する抵抗感がなくなり、対等な関係が作れるようになりますね。日本人は外国人を相手にすると、どうしても臆してしまうところがある。ただ妙に自信をつけて、戻ってきてからすぐに辞めてしまい、コンサルティング会社や外資へ行ってしまう人もいるんですよ。だから最近は、若い社員を直接海外の事業所に送り込んでいます。

佐藤 そのほうがいいかもしれません。やる気がある人は、現地で夜間のビジネススクールに通うことだってできますから。

矢嶋 まったくその通りで、やる気のある人はどこでも勉強します。

佐藤 いま就職試験のシーズンですが、どんな人が会社に欲しいですか。

矢嶋 そうですね。とにかくバイタリティがあること、そしてケインズの話が出ましたが、彼の言う「アニマル・スピリット(野心的意欲)」みたいなものを持っていること、かつロイヤリティ(忠誠心)がある人ですね。

佐藤 では、来て欲しくない人というと――。

矢嶋 頭がよくて評論家、要するに行動力がない人です。意見ばっかり言って、やることをしない人は難しいと思います。

佐藤 往々にして学校秀才はそうなる可能性がありますね。失敗を恐れて行動しない。レーニンは「失敗しない者は何もやらない者だけだ」と言っています。何かにコミットすると失敗することはある。それが大切なのですけどもね。

矢嶋 その通りです。

佐藤 そもそも矢嶋さんはどうしてこの業界を選ばれたのですか。

矢嶋 周りの同級生の多くは商社とか金融機関を目指していましたが、私は製造業、メーカーに行きたかったんですね。メーカーでも、原料が再生できるような分野で働きたかった。

佐藤 リサイクルの発想を大切にされていた。

矢嶋 製紙会社は木を使いますが、育てることができて、原料が枯渇しません。また古紙もリサイクルしている。私が入ったのは、王子製紙ではなく、古紙を主な原料としていた本州製紙でした。当時、他の会社も受かっていたので父親に相談したら、「30年後を考えろ」と言われたんですね。本州製紙はあまり業績がよくなかったのですが、いま苦労している会社だから30年後はよくなるだろうと思って入社したら、1996年にこの会社の前身である新王子製紙と合併した(笑)。

佐藤 本州製紙出身者として初めて社長になられました。この巨大企業の中の出世レースを勝ち抜いてくるのはすごいことですね。

矢嶋 そんなことないですよ。会社のDNAの話が出ましたが、この会社は戦前からいろいろな会社が合併し、そして分かれて、また合併してという歴史があります。だから誰がどこの出身かということにはあまりこだわらない社風があるんです。

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