熊本豪雨で球磨川「瀬戸石ダム」が決壊危機 現場証拠写真

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 熊本県南部を流れる球磨川流域に甚大な被害を発生させた「令和2年7月豪雨」からまもなく2週間。県民の生命財産を脅かす可能性があるにも関わらず、現在もマスコミが報じていない事実がある。球磨川中流にある瀬戸石ダムに決壊のリスクがあるのだ。県や事業者はこの事実を公表していない。

 球磨川は過去にも度々水害を発生させてきたが、7月3日から4日にかけて降り続いた雨量はこれまでの記録をゆうに超えるものだった。気象庁によると、人吉市で観測された24時間雨量は410ミリと7月の観測史上1位を記録。1日で7月の平均降水量471.4ミリに迫るほどの雨が降ったことになる。この豪雨によって球磨川は急激に水位が上昇。11ヶ所で河川の氾濫が確認され、人吉市では2ヶ所で堤防が決壊した。さらに流域の生命線でもある国道219号やJR肥薩線も至るところで寸断し、現在も徒歩でしか行けない地域が少なくない。住民ですら地域の被害状況が把握しきれていないのだ。被害の全容はいまだわかっていないが、球磨川流域で発生した災害では戦後最大規模と言えるだろう。

 私が熊本県人吉市へ入ったのは5日の深夜で、豪雨による浸水被害から一昼夜経ってのことだった。ライフワークとして取り組んでいる川を遊び場とする子どもたちの撮影で、球磨川流域にはこれまで数えきれないほど足を運んできた。思い出深い土地であるとともに、流域にはお世話になった方々が住んでいる。自宅が浸水し、自衛隊のヘリで救出された友人家族もいる。これまでの恩返しをするため、不織布マスクや消毒エタノール液、被災した友人や知人へ渡す下着や生活用品などを大量に買い込み、車で熊本へ向かった。

 現地では連日、人吉市や球磨村、八代市坂本町などを駆け回り、延々と被害が発生しているのを肌身で実感した。浸水した家屋では70才を超える高齢者夫婦が腰を曲げながらスコップで泥をすくい、半ば孤立化した集落では食料品不足を訴える住民とも出会った。それでも毎日のように浸水した家屋、道路の寸断を目にすると、次第にそれらが見慣れた景色となり、感情が揺らぐことが少なくなっていった。非日常であっても慣れるのである。しかし、あるはずの建物が跡形もなく消え、大型の重機でさえ動かせないものが無くなっているのを目撃すると、増水時の球磨川が持つ力の凄さに畏怖を覚えた。

 県によると球磨川流域では3本の鉄橋(JR肥薩線2本、くま川鉄道1本)、国道その他の道路橋が14本流失している。土砂崩れや土石流とともに川へ流出した大量の杉や被災材などが欄干や鉄橋トラフに絡みついたことで抵抗が増し、上流からの圧力に耐えきれず落橋したものと思われる。一度の豪雨でここまで橋が落ちたのは近年に例がなく、いかに当時の球磨川が想像以上のエネルギーを持っていたかがわかる。

 個人的に依頼された食料品や生活用品を被災地で届けていると、川を良く知る地元住民から「豪雨時に瀬戸石ダムが流れを妨げていた可能性がある」という話を聞いた。話をしてくれた住民も可能性のひとつとして考えていたもので、実際に目撃したわけではなかった。案内役をかって出てくれた男性によると「瀬戸石ダムへ続く道は崩壊と落橋が至るところで発生しており、ダム周辺の住民は全て避難している。確認するためには徒歩で行くしかない」という。天気図と雨雲レーダーで強い雨が降らないことを確認し、事実を知るために現地へ向かった。

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