子どもは体重が減り、このまま餓死する人も出るかも…沖縄「貧困家庭」の現実

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コロナ自粛を受けて支援団体が多忙 地域で欠かせない存在に

 社団法人「子どもフードバンクKFB」(沖縄市)も支援を行う団体のひとつ。こちらでは母子家庭を中心に、食料品の宅配などを7年間にわたって続けている。地元地域にとって欠かせない大きな支えとなっているその活動は自粛期間中も行われ、県内外や遠く香港からも送られてくるマスクや消毒液、米、加工食品などを届けた。県内のコンビニ企業から、菓子パンなどの無料提供などもあったという。

 代表である砂川和美さん(55)の4月5月は、自身の感染リスクを忘れるほど多忙を極めたという。ほぼ連日、朝から夕方まで日産の小型車のハンドルを握り、ダンボール箱に詰めた支援物資を市内の家庭に運んだ。箱には、マスク、消毒液、水、米10キロ、レトルトカレー6袋、スパゲティ、シーチキン缶詰などがぎっしり詰まっている。

 コロナ以前は1日5~6世帯の母子家庭に食料を届けていたが、コロナの影響で支援を必要とする世帯の数はおよそ2倍に。対象家庭の世帯主の実に90%が、ここ数カ月で雇用を失っていた。

「米や卵すら買えず、最低限の配給を必要とする家庭がどっと増えました。母子家庭だけではなく、障害者介護施設からも給付の問い合わせが来ています」(砂川さん)

 コロナ以前から、母子家庭の貧困は深刻だった。「冷蔵庫の中に何もないのです。何か食べ物を持って来てもらえますか?」と砂川さんにたびたび連絡してくるのは、高校生、中学生、小学生の食べ盛りの子3人を抱える母親だ。日中は介護の仕事、夜は風俗で働き、子供を育てているという。冷蔵庫の中に食べ物がなくなる度に電話がある。このほかにも母親が食事を作る習慣がなく、家にガスコンロさえない家庭もある。生後6カ月の乳飲み子を小学1年生の長女に預けて、キャバクラに働きに出る若い母親もいた。

 さらに砂川さんの団体では、4月から両親が精神障害を持つ家庭にも支援物資を配給している。コロナで両親ともに仕事を失ったのだろう、食料は底をついていた。自宅のある団地に行くと、小学校5年生の女の子と3年生の男の子が、4階の部屋から食べ物を受け取りに駐車場までやって来た。家族は配達を非常に喜んでくれたようだ。この後は2回ほど、砂川さんは食料などを運んだそうだ。

 砂川さんの友人でもある仲間ナオミさん(59)は、2014年に支援団体「Hope Love」を立ち上げ、現在、うるま市と協力体制を組んで食事配給を行っている。団体名は、キリスト教会の牧師でもある仲間さんが、聖書の教え「希望と愛」を地域に届けたいとの願いから名付けた。

「うるま市は特に貧困家庭と片親世帯が多いんです。生活基準が低いので避妊が行き渡っていないのでしょうか。子供の数も多い。私が知る限り、1家庭に平均で5人。多いと13人の子供がいます。男性の1人の月収は、1カ月毎日働いても20万円前後。シングルマザーだと、税金などを払って1ヶ月約10万円が残るかどうか。それでは足りないので、ダブルワークをしてなんとか月約15万円~18万円を稼いでいます。昼間は介護などの正規の仕事、週末はコンビニでのバイトなどですね」(仲間さん)

 生活費のために借金をする家庭も多いという。うるま市は、10代での結婚・妊娠する率も高い。いろいろな要因が重なって、貧困の負の連鎖が世代をまたいで続いている。そうした状況でコロナに見舞われたわけだが。

「勤務を減らされ収入が半分以下になった、そんな親御さんがたくさんいました。3カ月間の臨時休校で給食がなくなったため、子供達には私たちが必死になって弁当を配りました。」

 普段、仲間さんたちが作る弁当の数は平均60個前後。それがコロナ以降、スタッフ5名総出で、最高100個以上の弁当を作ることになった。

「米軍から、大量の米と牛肉の食材提供があったのが助かりました。また給食センターが閉まったので、農家さんが出荷できなくなった野菜などを送って下さり、なんとか必要な量を満たすことができました」

 コロナの最中に弁当・食料を配給する過程で、仲間さんは約70名前後の子供たちと知り合った。中でも強く印象に残っているのは、2つの母子家庭だ。

 ひとつは、小学校3年生の長女から1歳未満の乳飲み子まで4人の子供を抱えた母親(29)の一家。自粛期間中、母は自宅から一歩も外に出られなかったという。母親と三男(4)に、コロナの症状と疑われる咳と熱が続いたためだ。母は介護士として働いていたが、コロナの疑いがあるということで勤務日数を大きく減らされ、月の収入は2万円に。4人の子供らの食費を賄うことがままならなくなり、仲間さんに頼ることになった。

 幸いPCR検査を受け、母子ともに「陰性」が証明された。緊急事態宣言が解除された6月にうるま市役所に相談すると、生活支援金を受け取ることができるとわかり、なんとかやりくりを続けているという。

 うるま市内の小学校の支援員を通じゴールデンウィーク前に出会った母子家庭も、仲間さんの記憶に残る。

「支援員からは『普段からまともな食事をしてない子供たちなので、給食の代わりとして食事を与えてください』と頼まれました。中学1年生の女の子から3歳の女児まで6人兄弟の大家族です。30代半ばの母親がうつなどの精神疾患を患い、子供を育てることができない状況だったのです」(仲間さん)。

 台所と8畳の部屋からなる1LDKのアパートに一家7人が住んでいた。台所には汚れた食器と生ゴミなどが積み重なり、床にはゴミが散乱。汗や食べ物の腐った匂いが漂っている。食事は砂川さんの「フードバンク」が提供する米や卵頼りだった。

「子供たちは何週間も同じ服を着ているのか、とにかく汚れていました。髪も梳かれていないためにぼさぼさで、おそらく長いこと風呂に入っていないのでしょう。栄養不足のためか、同じ年齢の子供より一回り小さく見えました。小学4年生の子を小学1年生と間違えたほどです」(仲間さん)

 22歳の長女から小学1年生の男児まで孫9人を育てる82歳の高齢者ご夫婦も、コロナで危機にみまわれた。6年前、一番下の孫が1歳にも満たない時に娘が病気で亡くなり、以降、孫たちを引き取り育てている。妻には年金がないので、夫の年金だけが生活費の頼りだ。女性は「食事をフードバンクで凌ぎました!」と喜んでいたという。

食材提供大歓迎 「お米の支援が一番嬉しい」

 こうした人々に提供する70人~100人分の弁当は、食材だけで毎月10万円以上はかさむ。これを賄うのは草の根のカンパだ。

「困窮家庭は生活がいっぱいいっぱいで、料理する時間さえありません。だからお弁当が一番助かるんです。コロナの第二波に備えて、食材提供は今も大歓迎。なによりもお米の支援が一番嬉しいです。できることならば、せめて光熱費だけでも、困窮家庭のために援助していただけたら」

 受けるよりも与えるものは幸いです――仲間さんは物資支援と資金援助を全国に呼びかける。

 5月末の取材時点では、給付金10万円だけでなく、マスク2枚も受け取っていない沖縄県民が多かった。困窮世帯、特に母子家庭にとっては生死に関わる問題だ。緊急事態宣言が解除され、徐々に特別定額給付金が県民に振り込まれるようになったとは耳にしているが、明日の食料が底をつくような困窮家庭にとっては、遅すぎる補償といえる。我々の「血税」が、国民そして沖縄の方々の命を守るために最速で行き届いてほしい。

ちなみに6月上旬、イオンモール沖縄ライカムで、県内およそ40人の大学生と高校生が、余った食料の寄付を募る「フードドライブ」を実施した。寄せられた食品は困窮世帯に無償配給している。お米や缶類、缶詰、レトルト食品などを募集している。現在でも、こうして食料を必要としている家庭が多く存在しているのだ。

取材に応じてくださった各支援団体の連絡先(食糧や現金支援など歓迎しています)

子どもフードバンク沖縄-母子家庭を中心に食糧配達
http://kodomofoodbankkfb.com/

Hope Love-困窮家庭への夕食宅配事業
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=796111783860748&id=795427127262547

瀬川牧子/ジャーナリスト

週刊新潮WEB取材班編集

2020年6月29日掲載

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