為末大(Deportare Partners代表取締役)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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 3度の五輪出場を果たし、世界陸上では短距離種目で日本初のメダルをもたらした400メートルハードラーはいま、会社を経営し、社会事業も行って充実した日々を送っている。引退後の選手たちが第二の人生で成功するには何が重要なのか。「走る哲学者」と呼ばれたアスリートの人生戦略。

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佐藤 為末さんは引退後、シェアオフィスを運営するDeportare Partnersを始められました。このフロアがシェアオフィスになっているんですか。

為末 はい、そうです。

佐藤 どんな会社が多いのですか。

為末 やっぱりスポーツ関係ですね。スポーツも産業と言われますが、大きく二つ、「見る」と「する」があります。花形は「見る」のほうで、観戦に付随する放送権やエンターテインメントの世界ですね。一方、「する」ほうは、主にギア(道具)です。個人競技をやってきた私の関心事がパフォーマンスの向上だったせいか、後者の会社がほとんどですね。スマートシューズの製作とか、選手の動きを画像で見ながら測定できる機器の開発などです。こちらの方向はヘルスケアと親和性が強く、医療や食の会社もあります。

佐藤 シェアオフィス以外にも、引退後の選手のサポートや新豊洲Brilliaランニングスタジアムの館長、義足の会社の共同経営者など、幅広く活躍をされていますね。

為末 自分としては、ほんとは何かの研究所の所長が一番性に合っているんじゃないかと(笑)。子供の頃から本を読むのが大好きで、足が速かった文科系の人間が体育会に放り込まれるとこうなった、という風に自分を理解しています。競技をやりながら、自分の限界や思い込み、そこからいかに自由になるかを常に考えてきましたから、人間を心理的な部分から探究したいという思いがあります。その一方で、一種の固定観念の中にある現在のスポーツを解放していきたい、とも思っています。deportareはラテン語で、スポーツの語源です。

佐藤 出発、departureの語源でもありますから、いい名前です。

為末 スポーツの封建的なところがすごく嫌だったので、スポーツを変えるのと、スポーツで社会を変えるのが、私の中で大きな柱になっていますね。スポーツが変わると社会の仕組も変わるのではないかと思っています。

佐藤 選手を引退して、なかなかこうはいかないと思います。為末さんの引退は何歳でしたか。

為末 34歳です。

佐藤 決断は難しかったですか。

為末 オリンピックを目標に競技人生を区切ってきて、2008年の北京五輪で引退と思っていました。でもどうしてもあと4年やりたくなって、ロンドン五輪まで引っ張ったんです。私は前半が速く、そこをすごく意識して積み上げ、ハードルの3台目までは世界で一番速いくらいでした。でも、そこが狂い出したんですね。1台目まで5秒6だったのが、5秒65、5秒75となって、どうやって修正すればいいのかわからなくなった。

佐藤 ギリギリまでやりきったのですね。

為末 衰えを見せない早い段階で引退する選手とボロボロになるまでやる選手と2通りいますが、私は後者でしたね。グラウンドに入ると、こちらを振り向く人の数が減っていくのをひしひしと感じる時がやってくるんですよ。その中でもう一回取り戻そうと頑張るのですが、できなかった。野球やサッカーなどのプロ選手がセレモニーで讃えられながら引退するのと違って、静かにすーっと終わったという感じでした。

佐藤 それは作家に似ています。作家はやはり売れる部数で評価され、売れなくなると編集者が自然と寄りつかなくなりますから。でも自分でやめるタイミングを決めるのは、大変でしょう。

為末 自分で決められるのは幸運なことでもあって、一部のトップクラスの選手だけです。ほとんどは所属先とか金銭面が理由で、これ以上競技ができないところに追い込まれていきます。

佐藤 そうなるとセカンドキャリアの準備ができない。

為末 まあ私も、30歳までは何も考えていませんでしたね。その後4年間、アメリカに住みながら競技をやったので、必然的に一人で過ごす時間が長くなりました。そこで本を読んだり、アメリカのスポーツ界を見聞きしたりするうちに、スポーツの見方が変わり、それを戦略的に使えばその地位が上がり、国益にもつながるんじゃないか、という考えがぼんやりと芽生えてきたんですね。

佐藤 戦略的というと?

為末 例えばF1のスポンサーになるのは、欧州の貴族に会うための入場料です、と関係者が話している場面に立ち会ったことがあります。ああ、スポーツにはこんな使い方もあるんだと思いました。

佐藤 確かにヨーロッパではスポーツと貴族の世界は近い。

為末 スポーツとの距離感だと、日米ではかなり違う。引退も、アメリカの選手の引退は「軽い」。金メダリストが一時的に引き受けたキャスターの仕事が面白くなって、シーズン中にもかかわらず引退したり、怪我をしたら翌週にはやめてしまったりということがあるんです。

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