為末大(Deportare Partners代表取締役)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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前向きに諦める

為末 日本の選手は、社会的にすごく尊敬されています。日本の代表としてだけでなく、アスリートにはこんなことをさせてはいけないと、周囲が過剰に配慮している。

佐藤 その傾向は強いでしょうね。

為末 そして引退すると、元アスリートなのにこんなことができてすごいね、と言われるようになります。つまりアスリートを、スポーツ以外はできないという前提で見ている。スポーツの中に閉じ込めちゃっているんですね。

佐藤 外務省時代、国会議員だったアントニオ猪木さんのアテンド役を務めたことがあります。それが縁で当時、新日本プロレスの社内を案内していただいた。その時、管理職の席にいろんなレスラーが座っていたんですね。「佐藤さん、何でこんなことをやっているかわかるか。この業界ではレスラーが使い捨てにされている。俺はそれを変えたいんだ。レスラーが経営する会社を作りたいんだ」。猪木さんはそう言っていましたね。為末さんと同じことを考えていたのだと思います。狭い社会に選手がいるのは、つまり私たちの一般社会と接点がないということですね。

為末 そうです。

佐藤 そうすると、アスリートとそれ以外の人を繋ぐ仕事が重要になってくる。私は出身の浦和高校で教えていますが、高校生になるともうアスリートになるという夢はなくなっています。それでもスポーツは好きだという生徒には、Jリーグのチェアマンとか、医者になってスポーツ医学をやるとか、企業でスポーツを支援する部門に行くとか、そういう関わり方がある、その幅の中で選べばいいという話をしていますよ。

為末 それはいいですね。そういう人が重要になってくる。進路と同じように、最適な配置という点では、競技者も取り組むべきことがあります。引退だけでなく、選手時代に自分に種目が合っていなければ早めに諦めて、次の道で頂点を目指すということです。私自身、18歳の時、陸上の花形である100メートル走から、いわば傍流の400メートルハードルに転向して、世界と戦えるようになりました。諦めるの「諦」には「断念する」の意味とともに「明らかにする」「つまびらかにする」という意味があります。「前向きに諦める」ことができると、どんどん変わってくる。でもなかなかそうならないのは文化的な要因ですかね。

佐藤 もちろん文化的要因もあると思いますが、コーチや先輩にロールモデルとなる人がいないからじゃないですか。

為末 なるほど、参考となる生き方がない。

佐藤 どの世界でもやっぱり「感化」って大きいですよ。為末さんを見て、こういう風になりたいという人が出てくることが重要だと思います。

為末 自分の道を拓いていった選手たちの事例をたくさん見せていくわけですね。

佐藤 10歳くらいからアスリートを夢見ている子供が、20歳、25歳、30歳、35歳と5歳刻みで見て、それぞれの枠の中にロールモデルがあるのが理想的だと思いますね。

為末 選手時代だけでなく、次のキャリアまで、見えるようにしていく。

佐藤 ただアスリートは、親の期待が大きい。特に10代はそれに応えたいという気持ちでいっぱいになってしまう。

為末 その通りです。

佐藤 こっちのほうに適性があるから、と言っても、子供たちは親の顔を見る。

為末 選手が自分で判断できない。それは指導者が優れたコーチかどうかの判断にも通じるところがあります。選手がプレーしていて何か問題が起きた時、その瞬間にコーチの顔を見るか、あるいはチームのメンバーが自主的に集まるか。

佐藤 そこで普段、どういう意思決定をしているかがわかりますね。

為末 そこにチームのありようが出る。もちろん、みんなが集まるのが良しとされています。

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