「現物」と「箱物」(古市憲寿)

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「とくダネ!」の取材で岩手県の陸前高田と釜石に行ってきた。

 どちらも初めての訪問だ。だから、東日本大震災前に町がどんな様子だったのかは記録でしかわからない。陸前高田には歌手・千昌夫さんも出資するリゾートホテルがあったので、小倉智昭さんは何度も訪れていたらしい。風光明媚な松林が印象的だと言っていた。

 そういった過去を一切知らない僕にとって、二つの町は北欧を思い出させた。ノルウェーやフィンランドは首都でこそ人口60万人を超えるが、地方では数万人も住んでいれば「大きな町」というイメージだ。

 何年か前、北ノルウェーの小さな町々を巡ったことがあるのだが、整然とした街並みをよく覚えている。その印象が陸前高田や釜石に重なった。

 陸前高田は沿岸部を中心に300ヘクタールが盛り土された。ディズニーランドとシーを合わせて約100ヘクタールだから、その巨大さがわかると思う。一時期は、町中に造成用のベルトコンベアが設置され、大量の土砂を運んでいた。

 結果、完成したのは見渡す限り真っ平らな土地である。民家は少なく、真新しい行政施設や商業施設がぽつぽつと営業中。そして海岸沿いには、高さ12メートルの巨大防潮堤がそびえ立つ。

 つまり視界のほとんどが人工物に覆われていることになる。東京都の臨海地区、お台場や豊洲とも似た雰囲気だ。北欧の町に近いと思ったのも同じ理由で、要は一定の都市計画に基づいて設計された統一感がある。

 僕は嫌いではないが、それを「冷たい」と感じる人もいるだろう。高低差のある土地に、小さな家屋が密集している、よくある日本の町並みとは真逆だからだ。実際、現在の復興計画には、地元でも賛否両論の大論争があったという。

 巨大防潮堤の近くには東日本大震災津波伝承館という博物館と、奇跡の一本松のレプリカが建てられている。博物館の中には津波でペチャンコになった自動車や橋げたなども展示してあるが、写真や映像での説明がメインだ。

 奇跡の一本松も、幹の一部は防腐処理を施された「本物」だが、枝葉は完全な複製。近付くと、すぐに人工物だとわかる完成度だ。

 それでも残したことに意味はあると思う。広島の原爆ドームも取り壊しが検討されたことがある。しかし保存が決まったことで、今では世界的な平和のシンボルとなった。

 本当は長崎にも浦上天主堂という原爆遺構があったが解体撤去されている。長崎に限らず、多くの戦争遺構は開発の中で消えてしまった。代わりに戦争経験者が減少する頃になって、慌てて全国に戦争を記録する平和博物館が建設された。しかしインパクトの面で、博物館という「箱物」が、原爆ドームのような「現物」に勝つのは難しい。

 新しい町になった陸前高田は、これからどんな歴史を歩んでいくのだろう。再開発された町好きにはおすすめだ(どれくらいいるのかは知らないけれど)。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年4月2日号掲載

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