震災報道でNHKが使わなかった3つの言葉 梶原しげるさんの考える「共感」「配慮」

社会2016年5月30日掲載

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 ネット上を飛び交う言葉がドギツイ、という批判は良く耳にする。「死ね」「殺す」といった言葉を目にすることも珍しくない。

 実社会ではむしろ言葉遣いへの配慮が昔よりも求められる風潮にあり、ちょっとした叱責であっても「パワハラ」と言われかねないのに、その反動のように荒々しい言葉が書き込まれているのだ。

 こうした風潮を「しゃべりのプロ」はどう見ているか。

 新著『不適切な日本語』の中で、言葉遣いにおける「配慮」について考察をしているフリー・アナウンサー、梶原しげるさんに聞いてみた。

フリーアナウンサーの梶原しげるさん

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■カジワラ、うぜえ

 少し前に、HKT48の指原莉乃さんが、自分の名前でネット検索をする、いわゆる「エゴサーチ」の際に、「指原」ではなく「莉乃ちゃん」で検索をかけるようにしている、と話をしているのを聞きました。呼び捨てではなく、「ちゃん付け」で検索することで、「バカ」「ブス」といった罵声ではなく、「莉乃ちゃんカワイイ」といったプラスのコメントに行き当たる可能性が高まる、というのです。実に賢い方法だと思い、とても感心しました。

 悪口を書き込む方は、軽い気持ちでしょうが、目にする側は結構傷つくものです。

 私も、最近、あるテレビ番組で実況アナウンスをやったところ「カジワラ、うぜえ」といった書き込みがされたそうです。

「あの番組は梶原さんに『ウザい』感じを期待していたのだから、問題ありませんよ」

 そんな風に周囲は慰めてくれますが、やはりちょっとは傷つきます。

 私ですらそういうことがあるのですから、指原さんはどれだけの言葉を浴びせられていることか、と想像してしまいます。

 そういう物言いをされることは、一種の「有名税」だ、という考え方はあるでしょう。

 また、自由に意見を言えて、批判できるのがネットの良い点であることも十分理解できます。

 それでも、個人的にはあまり強い言葉で他人を批判するような書き込みに好感は持てません。

■「死ね」という物言い

 待機児童問題の議論を喚起したという意味で、「保育園落ちた日本死ね」というブログには意義があったと言えるのでしょう。事態が少しでも良い方向に進むのであれば、とても良いことだと思います。

 ただ、あくまでも言葉遣いという点で言えば、私は「死ね」といった言葉を表で使うことには、あまり良い印象を持てませんでした(ブログ主の方の窮状、また待機児童問題への国の対応といった議論とは別です)。

 これに限らず、ネットでよく見かける「www」「クソ」「ワロタ」「~じゃねーか」といった物言いも個人的には好きではありません。

 攻撃性が強すぎる言葉には、「共感」や「配慮」が感じられないと思うからです。

■NHKが避けた「がれき」

「配慮」という点で、思い出されるのが、東日本大震災の報道におけるNHKの姿勢でした。2013年、NHK放送文化研究所は、『「被災者」ではなく「被災した人」~震災報道で取材者が選んだことば』というタイトルの研究発表を行っています。

 この発表によると、NHKの取材者たちは、東日本大震災の報道において、(1)被災者、(2)がれき、(3)壊滅的という3つの言葉を「放送で使わないように配慮した」そうです。

「被災者」については「そう呼んでしまうと、被災地の外から見た目線になる」「被災者とひとくくりにする事がおこがましく思えた」「個々の人格を認めていない言い方(だと感じた)」といったことが理由として挙げられていました。

 そのため、「被災した人」という言い方を多用したそうです。

「がれき」については、本来「値打ちのないもの」について表現する言葉。目の前で苦しんでいる人にとっては宝物、かけがえのないものなどもあるのだから、軽々(けいけい)に「がれき」とは言えない、という取材者側の「共感」から使わないようにしたとのこと。

「壊滅的」も、軽々しく使うことは、被災地に対する「配慮」が足りないのではないか、との思いから避けられたそうです。

 もちろん、厳密に調べれば使ったケースもあるのでしょうが、このような「配慮」をしていたというのは、とてもいいことのように感じました。

 こうした「配慮」について、「言葉を取り繕っても仕方ないだろう」「言葉狩りに近い」といった批判をなさる方もいることと思います。

 そうした考えもよくわかりますし、安易に表現を制限することは慎むべきです。

 それに、偉そうに言っている私だって、きっとどこかで他人に不快な思いをさせていることでしょう。

 それでも個人的には、ネットにせよ実社会にせよ、「共感」や「配慮」のある表現が増えるといいなあ、と思っています。

 この記事の感想として「カジワラ、うぜえ」「説教臭い、死ね」「もう終わった人www」といったことを書く人がいるのかもしれません。もちろんそれを止める権利はありませんが、見るほうとしては、たとえ本当に私が「うぜえ説教オジさん」だとしても、それなりに傷つく、ということは知っておいていただきたいのです。

梶原しげる/デイリー新潮編集部