宮内義彦(オリックス シニア・チェアマン)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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四つの岩盤規制

佐藤 規制改革は、ソ連崩壊とも関連しています。東西冷戦中に規制緩和して資本家側の力を強くしてしまうと、さまざまな社会問題が噴出し、社会主義勢力の力が伸張して、社会主義革命の危険が生じます。その危険がなくなったから、グローバルな資本主義の論理の中で、規制改革を進めていくことができた。

宮内 日本の場合、まず中曽根内閣が、国鉄、電電公社、専売公社などの民営化をやりましたね。あれは時期としては、ずいぶん早かったと思います。そのまま規制改革を続ければよかったのですが、その頃の日本は国際社会の中で快進撃を続けていたんですね。だから何も制度を変える必要はないと考えた。一方、欧米は苦境にありましたから、英国ではサッチャー政権が、アメリカではレーガン政権が生まれ、市場重視の競争社会を作るために動き出しました。

佐藤 日本はバブルが崩壊してから、慌てて対策に乗り出した。

宮内 日本で規制改革を言い始めたのは1994年からなんですね。私が政府の規制緩和小委員会に入ったのがその年です。このままでは欧米に後れを取ってしまうとようやく気がついた。

佐藤 実際にずいぶん後れを取りました。

宮内 そこで日本の規制を見渡してみると、何々業法といった法律がたくさんある。価格や業務範囲など、何から何まで法律で決まっていました。別の見方をすれば、参入障壁だらけということです。そこをフリーなマーケットにしていくことが必要でした。

佐藤 おかしな規制がたくさんありましたね。

宮内 いまでは信じられないことでしょうが、携帯電話は借りることはできても買えませんでした。航空貨物便では復路に荷物を積んではいけないとか、どの証券会社でも株式の売買手数料が同じだとか、お酒もコンビニでは実質売れないとか、現在から考えればどうして規制していたのかわからないものばかりです。

佐藤 不合理なものが堂々まかり通っていた。

宮内 会議の席で正論を言えば、みんな、なるほどと聞いてくれると思っていたのですが、全然取り合ってくれませんでした。だいたい役所や政治家と議論しているときは、こちらが守勢で、もう言われっぱなしでした。その中でなんとか反論するのですが、会議が終わったらへとへとです。そこへ立派な経歴の委員がやってきて、こっそり「私も宮内さんと同じ意見です」と言うんです。

佐藤 それは議論の場で言ってほしいですね。

宮内 そうですよ。後で言うなら、その場で言ってほしい。励ますつもりで声をかけてくれたのでしょうが、日本のインテリは弱いなぁ、と思いました。まるで力にならない。

佐藤 私も起訴されたときではなく、作家になってから「心の中では応援していました」と、何人もの新聞記者や学者から言われました。

宮内 同じですね。その規制改革の議論の場で私が学んだことは、同じことを繰り返し、繰り返し言うと、少しだけ動く(笑)。

佐藤 ああ、それもよくわかります。

宮内 もう恥ずかしくなるくらいに同じことを繰り返すんです。そうすると相手も理があると思うのか、少し耳を傾けてくる。並外れた粘りが必要でしたね。

佐藤 それでも動かない岩盤規制があったわけです。一番硬い岩盤はどこでしたか。

宮内 医療、教育、農業、エネルギーなどですね。例えば、医療なら保険診療と保険外診療を併用する混合診療です。一部でも保険外診療をすると、全額保険適用外になり、多額の診察料がかかってしまう。

佐藤 なるほど。

宮内 結局のところ、岩盤規制というのは、経済的な規制なのか、社会制度なのか、よくわからないような領域なのです。

佐藤 それが一種の文化を作ってしまっている。

宮内 そう。ガチッとそれを前提とした社会ができている。

佐藤 おそらくそうした分野は、制度破綻に直面するなど、地獄の釜が湯立って、蓋が外れるくらいにならないと動かないんじゃないですか。

宮内 もちろんそうなれば動くと思いますが、そこまで行ったら社会としてマイナスじゃないですか。

佐藤 そうですね。

宮内 だからこれからを予見して変えていかなければならないのです。それが活力のある社会を生み出す。そうでなければ、中で頑張っている人はたまったものじゃないですよ。

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