山口組顧問弁護士が見た「バブルとヤクザ」「天国と地獄」

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「天国と地獄」

「元々伊藤さんは歌手の西城秀樹を応援していた縁で、宅見さんとの親交が始まった」(山之内氏)とも言うが、伊藤氏と宅見若頭を結びつけた接点となった西城もすでに天上の人となっている。

 栄華を極めた日々の面影はすでになく、バブルの焼け野原に夢の痕跡だけが残された。

「余談ですが、後年のバブル終焉期に私も株取引にのめり込んだ時期があるのは、全盛期の仕手株のダイナミックな値動きを肌で知っていたことが一因しています。幸か不幸か私自身は仕手筋の誘いには乗らずにすみましたが。仕手戦に一度でも乗ってしまったら脳髄がしびれて真人間ではいられなくなります。私の場合は自分なりに株価チャートを分析、これはと睨んだ仕手株を空売りして、4カ月間で税引後の純利益が一時的に3億円を超えました。その利益で事務所ビルと立体駐車場を買うのですが、さすがにこれは世の中間違っていると思いました。ただし、その後の株価暴落で数億円の赤字を出し、きっぱりと足を洗いました。池田氏のようなプロですら人生を狂わされる魔力が株の世界にはありますね」

 時は流れて、山口組はいま、大分裂という未曾有の騒動の渦中にある。仕事柄、6代目、神戸山口組双方の首領と親交のある山之内氏の胸中も穏やかではないようだ。

「私は本人から聞きましたが、司忍6代目の稼業名は『耐え忍んで司る』という意味で、司さんが渡世入りしたときの先代親分が名付け親だそうです。その先代があの山一抗争で山口組を離脱する動きを見せると、司さんは迷わず親分に諫言、翻意させます。忠誠を誓った親分でも山菱の代紋に傷をつけるような下手打ちはさせなかったんです。その代わり生涯にわたって先代を敬い、献身を尽くした。そんな司さんにとって、山菱の代紋に泥を塗るような今回の分裂劇はさぞや痛恨の極みだったのではないでしょうか」

 2014年に、ロックアウトされた工場の入り口をこじ開けるよう依頼者に助言したという、「山口組顧問弁護士」でなければ立件すらおぼつかないはずの微罪(建造物損壊教唆罪)で在宅起訴、翌年に執行猶予付きの刑が確定し、弁護士資格を剥奪された氏は現在、事務所ビルも土地も売り払い、公団団地で侘び住まいの身だ。

 平成の30年間に山口組を見舞った「天国と地獄」を見守り、自身も「暴排」の大波にさらわれた男の老身に、蕭条たる風が吹きつける――。

「現在は、山口組というより暴力団全体が警察から『いじめてよい人種』と名指しされ、世の中からも忌み嫌われるという、ヤクザ史上最悪の時代です。山口組はいまもって分裂問題を解決できていませんが、身内で争っている状況ではありません。一日も早い終息を祈りつつ、双方から相談があればいつでも仲介のお膳立てに手を尽くしたい。それが私のできる最後のご奉公だと思っています」

 山口組4代の盛衰に立ち会ってきた元弁護士に「最後のお務め」の回り舞台は巡ってくるのか。

週刊新潮 2020年2月13日号掲載

特集「山口組『顧問弁護士』が明かす『暴力団平成史』 私が渡った危ない橋」より

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