山口組顧問弁護士が見た「バブルとヤクザ」「天国と地獄」

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戦後最大の経済事件に

 組長の秘書ですらかくも金満ぶりを見せつけた当時、経済ヤクザの雄たる宅見若頭の名前も様々な経済事件の陰で見え隠れするようになる。

「宅見さんがバブル経済にどっぷりはまっていくきっかけは、親友だった岸本才三本部長率いる岸本組の組員、池田保次です。北浜の風雲児と呼ばれた仕手筋で、コスモポリタングループを束ねており、後に世間を騒がす許永中もそこで修業していました。私も何度か池田氏に会いましたが、とにかく如才がなく調子のいい物言いをする。彼の手がける銘柄に乗れば、簡単に大金が手に入る気にさせられるんです。池田氏は金のありそうな人間を誰彼なしに仕手戦に引き込み、その一人に宅見さんもいました。いくらか儲けさせてもらったのでしょうが、最終的には莫大な資金をつぎ込んだと推察しています」

 池田は87年のブラックマンデーで資金繰りを悪化させ転落の一途を辿るが、その時手元に残ったのが売り抜けに失敗した「雅叙園観光」の株だ。池田は同社会長として会社名義で260億円相当の融通手形を発行し、許永中氏とともに手形をカネに換える。闇紳士のエースと呼ばれた伊藤寿永光氏も雅叙園観光の仕手戦に投資して200億円を焦げ付かせている。

 融通手形を乱発された雅叙園観光はその後、許永中氏から伊藤氏を経由し大阪の中堅商社イトマンが引き受けるが、これが「戦後最大の経済事件」「闇の勢力に数千億円が流れる」と言われ、日本中を揺るがす経済スキャンダル、イトマン事件に発展するのである。

「闇の勢力とは宅見さんのことで、確かに伊藤さんは大きな地上げやゴルフ場開発を手がけており、2人が親密な関係にあったことは事実です。私も85年には宅見さんの紹介で東京・八重洲にあった伊藤さんの事務所でお会いし、ある用事を頼んでいます。業界では有名な『ハワイ囮捜査事件』で、山口組の最高幹部らが米当局に逮捕されたため、弁護士として急遽ビザが必要になった私に、伊藤さんが政治家と官庁を動かして、『ハワイ在住知人の病気見舞い』という名目でビザが発給されるよう尽力してくれたんです。米国に入国した際、『ビザの不正申告』と多額の現金を所持していたことを当局に咎められ、危うく拘束されるところでしたが、国会議員の神通力がきいたのか、危難を脱することができました」

 山之内氏は先ごろ、伊藤氏の出所後に電話で連絡をとったというが、日本経済の屋台骨を揺るがした昔日の勢いはなかった。コスモポリタン破産後、池田はぷっつりと姿をくらましたため、損失を被った裏社会に消されたという噂がしばらくたえなかった。周知の通り、宅見若頭は97年に中野会系ヒットマンに射殺される。

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