「患者さんからの贈り物は禁止します」ルールは厳格に守るべきか

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 診察の際、あるいは手術の前後に「ひとつよろしくお願いします」と言いながら、「先生」に何らかの金品を贈る。そんな光景は最近ではめっきり少なくなった。一種の悪弊ということで、ほとんどの病院、特に大きな病院では「もらいものはお断りします」という方針を明確に打ち出し、ルールを厳格化したからだ。

 そもそも診療報酬は法律で決まっており、お金を多く払ったから良い治療が施されるなどということはありえないし、あってはならないことだから、その点では「もらいものはお断りします」は正しい。

 が、実際の現場ではそう杓子定規にもいかない、という現実もあるようだ。どのようなことがあるのか。臨床医で数多くの著作を持つ里見清一氏は、かねてよりこの問題の難しさを論じている。以下、「『患者さんからの贈り物は一切受け取るな』は人間性に反する」と題した里見氏の特別寄稿である。

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「患者さんからの贈り物は一切受け取るな」は人間性に反する 

 ひと昔前までは、患者が医者に心付けというのか御礼というのか、何らかの金品を渡す行為は珍しくなかった。ただし、これで患者に何か良いことがあるかというと、普通は何もない。医者はその時は喜ぶが、たいがいすぐに誰から何をもらったか忘れてしまう。以前に勤めていた病院で、「金品を贈って、それを受け取られたにもかかわらず、扱いが良くならなかった」という苦情が寄せられたことがあったが、そういう時、医者の側は「なんと卑しい人だ」とむしろ患者の側を軽蔑する。したがって、そうした下心のある場合はへたに贈り物などしない方がよい。

 ある時期からはどこの病院も「もらいものはお断り」という方針を強く打ち出すようになった。私はこれが嫌いであり、2009年に上梓した初めての一般向けの著書『偽善の医療』では、わざわざ「贈り物は喜んで受け取るべきである」という一章を設けたくらいである。

 それから10年経ち、「もらいものはお断り」はより徹底されるようになった。これも世間のコンプライアンス意識の高まりということだろうか。

 が、私の考えはといえば、当時と今とで変わらない。贈り物を要求することは絶対にしてはならないが、くれるものは有り難く頂くべきである。ゼミで指導している看護学生にもそう教えている。

 卑しい奴め、と思われるのはご自由だが、まずは以下、新著『「人生百年」という不幸』でも綴った私の考えをお読み頂きたい。

 現在、どこの病院でも実習に出る看護学生には、現場に出る前の「注意事項」として、「患者さんから物を受け取ってはいけません」というのを必ず徹底される。これはつまり、患者さんの側で学生に物を「あげてしまう」ことがよくあることの裏返しでもある。一対一で献身的にケアされるのだから、情が移るのはむしろ当然だろう。

 私のゼミ生の一人、C子は、ある病院で、そうして一生懸命に世話をしていた高齢の女性患者から、飴玉をもらった。その時は、ともにケアを行い、指導してくれていた病棟の看護師(男性)と一緒であり、彼にももちろん飴玉は渡された。C子によると、その看護師は有能でかつ患者さんにも優しい、尊敬する先輩だったそうだ。「いいよいいよ、もらっちゃいな」と彼が飴玉を口に入れたので、C子もそうしてケアを続けた。

 ところがこれがバレてしまい、C子は教官にこっぴどく叱られた。彼女が指導してくれた看護師のせいにしなかったのは天晴れであるが、ゼミの教官(私)の教えのことも言わなかったそうだ。

 そう、私は彼女たちに、「もらいものは断るな。食べ物だったら、その場で食べろ」と指導している。読者も、自分が患者の立場だったら、と想像していただければお分かりになると思う。だから、「もらっちゃいな」と言った男性看護師は偉い。C子が尊敬したのももっともである。

 もう一人の私のゼミ生、R子は、もっと切ない経験をした。彼女と同じグループにいた友人が担当したのは、慢性疾患で長期入院を余儀なくされている中年の女性患者だった。2週間の実習期間終了のあいさつに行った学生に、患者さんは、その子の似顔絵をプレゼントした。毎日、学生が病室を辞去した後で、少しずつ描き続けていたらしい。

 真面目なその子は、指導教官にこのことを報告してしまった。教官は、「決まりだから」と、学生を連れて患者の病室に行き、「大変申し訳ありませんが、規則ですからこれは受け取れません。お気持ちだけ有難くいただいておきます」と、その絵を返させたということである。学生は泣いていたそうだ。

 R子は、実習の反省会で、C子と同じように、「ゼミの里見先生は、もらいものは受け取れ、と私たちに教えてくれました」と反論しようかと思ったそうだ。話を聞いた私は「どうしてそう言わなかったのだ」と訊ねたが、「自分のことだったら言ったと思いますが、そうではないので……。話を蒸し返したら、本人が辛いかと思ってしまいました」とR子は答えた。それもそうで、仕方がない。だけど次にそういうことがあったら、私の名前を出せ、そして文句があったら私に言えと伝えておけ。私はそういきがるのが精一杯で、R子や、似顔絵を返させられた学生には慰める言葉もない。

 R子は言う。「決まりなのかも知れませんけど、患者さんの気持ちを考えたらどうなんでしょうか。考えたくないですけど、あの患者さんはガッカリして、病気にも差し障るのではないかと思います。『お気持ちだけいただきます』なんて言っても、人間の気持ちなんて、そんなに割り切れるものではないんじゃないですか」。わきでC子も頷いていた。

 ここで誰が「正しい」のか、解説や考察をする必要はないと思う。私のことはともかく、わが学生たちは、邪(よこしま)なために、もしくは欲に目が眩んで、もらいものを受け取りたいのだ、などと考える人がいるだろうか。一方で、教官たちは、「規則を守る」ことと引き替えに、患者の気持ちを踏みにじり、心理的な、もしくは(R子が懸念するように)身体的な影響を無視している。それは医療者の思考回路を離れ、小役人的発想に支配されているだけではないのか。

 私は、彼女たちの感性に勇気づけられる反面、実社会で経験するであろう困難に暗然とする。彼女らは、世の中の「汚さ」だけではなくて、表面的な「正義」にも抵抗しなければならない。願わくば、C子を教えてくれた男性看護師のように成長してほしいものだ。

 私の部屋の壁には、7歳の女の子が描いてくれた私の似顔絵が飾ってある。そこには「せんせい、いつもありがとうございます。おとうさんをなおしてください」というメッセージが添えられている。この絵を渡された1カ月後、私はその子の目の前で、「おとうさん」の死亡宣告をしなければならなかった。この子に対して、「お気持ちだけはいただきますが、規則ですから受け取れません」とこの絵を突き返すなんて、誰ができるだろうか。 

 もちろん、私の思想は世の中の主流ではなく、反対論も多い。上記を週刊誌連載のコラムで書いた際には、N看護研究所のK先生という方から反論のお手紙をいただいた。

 K先生のご指摘は長文で全部を紹介し切れないが、要点は、以下の通りである。

(1)看護にあたっては「分け隔てなく」対応することが必須である。

(2)贈り物を受け取ってしまうと、患者は何をどう贈るべきか、失礼にならないか、などと余計な気を回し、競争意識なども出て来て、ストレスになる。

(3)一律「贈り物は断る」という線引きをすれば、そういう余計なストレスから解放される。「飴玉一つでも断る」でその方針が明らかになるのは、患者の負担も少なく、良い機会である。

(4)上手な断り方をすれば、病人には心的負担はかからない、ということであった。

 なお、(5)「似顔絵」に関しては、金品ではなく、市場価値はゼロだから、素直に喜んで頂戴すべきで、ナースステーションの壁に貼っておいて「個人ではなく、チームに贈られたものだ」ということを示せばよい、とも書いてあった。

 この点からみても、K先生はC子やR子の指導教官よりもはるかに深い考察をしておられるようだ。

 それでもなお、私は「受け取るべきである」という自説を曲げようとは思わない。最大のポイントは、(4)上手な断り方をすれば、である。K先生は、渡されようとするその瞬間に間髪を入れず、ニコッと笑顔を見せて「何もいただけないんです。規則ですから」と明るく答えればよい、と書かれている。贈り物をどうしようか、と悩んでいた病人はそれで一気に心労から解放されるのだと。

 これはまず、言うほど簡単ではない。私は学生や、病棟の若いナースに確認したが、「受け取るな」という指導は徹底されているが、「こういう風に断れ」と教えられたものは皆無だった。これはその場での対応だから、タイミングについても表情についても、相当に高度な技能を要求される。学生や新人にただ、「そうせよ」と言うだけなのは酷だろう。そしてまた、本人たちが「うまく断った」つもりでも、相手が本当にそれでハッピーかどうかは別問題である。もしかしたら断った側の自己満足かも知れない。

 私の娘は未熟児で生まれ、入院も長引いた。退院の際にナースステーションに出した菓子折りは、スタッフから「笑顔で、丁重に」突き返された。K先生のご指摘とは違い、私は非常に役人的な対応だと感じた。ある会でその話をしたら、著名な癌専門病院の緩和ケア部長であるH先生も同様の経験をした、とおっしゃった。同じように退院の際に差し出した菓子折りを、同じように「笑顔で、丁重に」断られたH先生は、しばらく押し問答を繰り返していたが、ついには立腹され、病棟の入口にあるゴミ箱に菓子折りを勢い良く投げ込んで帰ってしまったという。「全く、どうしてああいう対応しかできないんだ。感謝の念もいっぺんに醒めるね」というのが2人の一致した見解である。私はいまだかつて、「贈り物を気持ち良く断られた」という人に会ったことがない。

 似顔絵についての対応にも、私は多少の違和感がある。個人に贈ったはずのものがナースステーションなどという公の場に掲示されて、果して贈った側は満足だろうか。子供の頃、「そのつもりでなく」提出した作文や絵がみんなの目に触れるところに出されてしまって、気まずい思いをした人も多かろう。プライベートな感謝の念が大々的に人前に出されると、かえって迷惑に感じることは十分にありうるのである。「とにかく分け隔てなく、チームで」という方針は結構であるが、それが常に正しいと盲信すると、人間心理の微妙な綾を見落とすこともある。

 そして、「飴玉一つ」は断るべきかどうか、である。C子と一緒に飴玉を差し出された看護師は「いいよいいよ、もらっちゃいな」と言ったそうだ。これによって、その看護師と、学生のC子と、患者の間に、「本来は禁止されていることを一緒にやってしまった」という、一種の連帯感が生まれる。その高齢の女性患者は、そうした体験を思い出してある意味背徳的な快感に浸ることだろう。それと、看護師が清く正しいのだ、と認識することによる安心感と、どちらが重要か。K先生と私の感覚は、この点で最も大きく分かれる。

 私は今も学生に、実習中の贈り物は受け取れ、と懲りずに指導している。最近は「ただし」と付け加えている。「もちろんモノによる。ダイヤの指輪なんか出されたら突き返すんだぞ」

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 きちんと読んでいただければお分かりの通り、里見氏は患者たちに決して贈り物を奨励しているわけではない。ダイヤの指輪で特別の治療を受けられるはずもない(そんなことをする病院はインチキである)。

 しかし、医者や看護師のちょっとした振る舞いが患者にとって大きな励みになることもあれば、逆に体調すら崩しかねない原因にもなるのも事実。その「ちょっとした振る舞い」をルールで定めマニュアル化するのは不可能だろう。そもそも多くの患者は、医者や看護師に杓子定規なマニュアル的対応を求めているわけではない。

 しかしながら、いったんルールが定められると厳格化していき、ちょっとでも抵触すると怒られる、罰せられる、ということになるのは、コンプライアンス意識の高まった現代ではどの職場でも見られる光景である。「飴玉一つ」を問題視する、というのは決して珍しいことではない。

 さて、ルールを厳格に守る病院と、臨機応変に対応する病院。どちらが患者サイドにとって望ましいのだろうか。

デイリー新潮編集部

2020年1月18日掲載

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