“お約束”の流儀(古市憲寿)

  • ブックマーク

Advertisement

 いよいよ2020年。しかしあまり年明け感がない、という人も多いのではないか。2019年4月には新元号の発表、5月には改元があった。元号が変わったのは30年ぶりだが、西暦は毎年変わる。比べると、それほどありがたみはない。

 しかも夏には東京オリンピックが控えている。開催が決まった2013年以来、この国は何かとオリンピックを目安として動いてきた。人口減少と少子高齢化に苦しむ日本にとって、オリンピックは数少ない希望の一つに見えたのだろう。

 当たり前の話だが、ただの大運動会くらいで日本が劇的にいい国になるわけがない。活用方法の決まっていない新国立競技場などのレガシーが「負の遺産」になる可能性を考えると、少し悪い国になることはあるかも知れない。ただしオリンピックがきっかけで国が飛ぶなんてこともまずあり得ない。

 オリンピックは、経済が停滞した国にとってドーピングのようなものだ。一時的に希望を生んだりはするが、抜本的に何かを解決してくれるわけではない。

 興味があるのは、オリンピックが終わった後のこの国の雰囲気だ。祭りの後は寂しいもの。ひたすら暗い空気に国中が包まれると数年前までは思っていた。

 しかし、恐らくそうはならないだろう。お正月が終われば多くの人が当たり前に元通りの生活を再開するように、粛々と日常が訪れるのだと思う。繰り返される日常の磁場とはそれくらい強固なものなのだ。

 少し話は変わるが、最近、僕も大人になり、繰り返しの効用に気付くようになってきた。

 たとえば講演会をする時。昔は同じ話をするのが嫌だった。基本的には「幸福論」や「若者論」といったように先方の希望するテーマに沿って話すのだが、どうしてもテレビや書籍での発言との重複が多くなる。定番を回避していつも新しい話を準備してもいいのだが、お客さん目線に立つと微妙に思えてきたのだ。

 たとえば好きなミュージシャンのライブに行くとする。聞きたいのはヒット曲だ。たまに新曲ばかりのライブをする歌手がいるが、熱烈なファンでないと正直ついていくのが辛い。

 ミュージシャン本人に聞くと、ヒット曲ばかりを歌うのは飽きてしまうそうなのだ。ファンの多くがライブに行くのはせいぜい年に1回か2回。しかし歌手の場合、ライブやリハーサル、テレビ出演を含めれば同じ歌を何百回と歌っている場合だってある。

 考えてみれば僕自身、同じ話を聞くのは嫌ではない。田原総一朗さんがこれまで総理大臣を3人辞めさせた話など、何回聞いても落語のように面白い。

 そのうちこの連載も、定期的に同じ話が繰り返されるようになるかも知れない。そっちのほうが人気になったりして(実際、そんな人もいますよね)。

 毎年繰り返される年明けに際する、非常にありふれた言葉になるが最後に一応。「今年もよろしくお願いします」。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2020年1月16日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。