急死した俳優の鴈龍さん 生前、本人が語った勝新太郎と中村玉緒の独特な教育

エンタメ 芸能 2019年12月9日掲載

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 1997年に他界した俳優・勝新太郎さん(享年65)と女優・中村玉緒(80)の長男で俳優の鴈龍さんが急性心不全のため、11月死去していた。55歳だった。勝新さんから独特の教育を受けた鴈さん。だが、勝新さんの破天荒なイメージとは違い、鴈さんは上品で人が良かった。勝さんの教育と鴈さんの素顔を振り返る。

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 勝さんの長男の鴈龍さんは生前、筆者にこう語っていた。

「僕は幼いころ、高いところが苦手だったのですが、それを知ったおやじは撮影所の照明台の最上部に僕を登らせ、下から『よし、俺のところに飛んで来い!』と命じるんです。無茶ですよ。高さが10m以上あったんですから。おやじが受け止められなかったら、間違いなく死にます。だから飛びませんでしたよ」(生前の鴈龍さん)

 豪快な伝説を数々残した勝さんは、子育ても型破りだったようだ。幼いころの鴈龍さんは水もまた苦手だったが、それを聞いた勝さんはプールや川に鴈龍さんを投げ込んだという。

「子供ながらに、『そんな殺生なぁ』と思ったものです」(同・生前の鴈龍さん)

 ただし、それは教育熱心の表れ。鴈龍さんと元女優の長女・奥村真粧美さん(56)は勝さんの命によって幼稚園からアメリカンスクールに通った。勝さんが「これからの時代は英語が話せなければダメだ」と考えたからだ。

 勝さんは鴈龍さんを鍛えようとしたが、怒ったり、叱ったりしたことは一切なかった。

「メチャクチャやさしかった。おふくろ(玉緒)は怖かったけれど。朝、靴紐がうまく結べないだけで、おふくろから往復ビンタを食らったことがあります」(同・生前の鴈龍さん)

 勝さんは子煩悩で、どこにでも鴈龍さんを連れて行った。所属していた映画会社・大映には生まれた直後から頻繁に同行し、そのたび、宣伝部員に写真を撮らせた。公表するためではない。プライベート用だ。1960年代の話で、当時は写真一枚撮るのも簡単ではなかったからだ。

 子供のころの鴈龍さんは、とんでもないところにまで勝さんに連れて行かれた。

「小学生のとき、『ベラミ』に連れて行かれました」(同・生前の鴈龍さん)

 「ベラミ」とは京都市の三条大橋のほとりにあった高級クラブである。いかにも勝さんらしい。このクラブには関西の大物たちが客として集っていた。1978年には山口組3代目組長・故田岡一雄氏の銃撃事件の現場にもなっている。

 ちなみに、この時は酒を飲まされたわけではないが、ブランデーを飲まされたのは13歳の時。その後は日本酒をかけた蕎麦を一緒に食べるようになった。

 型破りながら、勝さんは鴈龍さんにたっぷりと愛情を注いだわけだ。そのせいであろう、鴈龍さんは無垢で穏やかな人柄だった。だから、勝さんが興した勝プロダクションとその倒産後に設立された勝プロモーションの関係者たちから「たけちゃん(本名は奥村 雄大=おくむら・たけひろ)」と呼ばれ、可愛がられた。

「勝さんと違い、素直なお坊ちゃんでした。敵を作るようなタイプではありませんでした」(元勝プロ関係者)

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