急死した俳優の鴈龍さん 生前、本人が語った勝新太郎と中村玉緒の独特な教育

エンタメ 芸能 2019年12月9日掲載

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死亡事故で謹慎

 鴈龍さんのデビューは勝さんが監督を務めた1989年版の映画「座頭市」。その役柄は悪党・五右衛門一家の親分役で、新人らしからぬ大役だったが、本人の人柄がいいため、やっかむ声はなかったという。

「たけちゃんの演技は物凄く良かった。勝さんの指導も良かったのでしょうが、スタッフ一同が唸るほどだった」(同・元勝プロ関係者)

 だが、この撮影中、悲劇が起こる。鴈龍さんの使っていた日本刀が、模造刀から真剣に入れ替わっており、それが共演者の首に刺さり、死亡してしまったのだ。

 鴈龍さんは業務上過失致死の疑いで警察の事情聴取を受けた。その後の捜査や裁判によって、鴈龍さんに真剣を持たせたのは時代劇経験のない助監督だったと認定されたが、人命が失われてしまったことに変わりはない。鴈龍さんは1994年までの約5年間謹慎する。

「これからという時の5年間は長かったし、たけちゃんのショックも大きかっただろう。可哀想だった」(同・元勝プロ関係者)

 1997年に勝さんが他界すると、勝さんの親友だった故・石原裕次郎さんが興した石原プロモーションに鴈龍さんが所属するという動きがあった。だが、石原プロが新人をほとんど採らない状態になっていたためか、話は立ち消えになる。

 結局、勝さん亡き後の鴈龍さんは玉緒の個人事務所に所属する。だが、その後の鴈龍さんが仕事面で恵まれていたとは言えない。2003年にはNHK大河ドラマ「武蔵 MUSASHI」(2003年)に徳川家の本多正純役で出演したものの、テレビのほかの仕事は玉緒が出演する2時間ドラマの助演が中心。映画出演も1998年の「修羅がゆく7」以来、なかった。

 人の歴史に「たられば」は禁物だが、「座頭市」の事故と謹慎がなかったら、あるいは石原プロ入りが実現していたら・・・……。「座頭市」での演技の評価が高かったのは間違いないのだ。

最後の舞台

 ただし、ハングリー精神も求められる役者の世界だけに、無垢で穏やかな人柄が仇になったのかも知れない。また、「座頭市」のころは痩身だったが、2000年代以降、みるみる太っていった。これも役者としてはマイナスだったのだろう。一説によると、身長は174cmながら、体重は100kgを超えていたという。

 最後の仕事は西村まさ彦(58)が座長を務め、2017年2月から3月まで全国各地で上演された舞台「COASTER 2017」。コメディとミステリーが融合された作品で、鴈龍さんはPR用のインタビューで「こういったお芝居は初めてなので、ドキドキします」などと語っていた。帰国子女という役柄で、セリフは英語交じり。勝さんが入れたアメリカンスクールでの経験が生かされた。

 だが、残念ながら、この舞台での演技への評価は高くなかったようだ。本人が言った通り、新領域だったことからので、難しかったのかもしれない。一部では、「この舞台の仕事の後、働こうとしないので玉緒さんがシビレを切らし、今年5月に絶縁した」と報じられているが、前出・元勝プロ関係者は「たけちゃんが自分から怠けようとしたとは考えられない。思うように仕事が来なかっただけではないか」」と語る。

 元勝プロ関係者は2000年に上演された鴈龍さんの主演舞台「悪名」を観に行った。勝さんも映画で主演した作品だ。

「嬉々として演じていた。大張きり切りだった。役者の仕事が嫌いなわけでは決してなかった」(同・元勝プロ関係者)

 では、なぜ玉緒が鴈龍さんと距離を置いたかというと、どうやら経済的に頼っていた鴈龍さんに自立を促したというのが真相らしい。本人のためである。玉緒は勝さんと違い、靴紐がうまく結べないだけで往復ビンタをする人なのだ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
ライター、エディター。1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て、2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長を歴任し、2019年4月に退社し独立。

週刊新潮WEB取材班

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