関電問題の核心、メディアが触れない「森山元助役」影響力の源泉

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“森山詣で”

「しかし、昭和40年前後の高浜町は職員の給与が滞るほどの赤字財政でした。以前、財政破綻した北海道の夕張のような感じだった高浜町に原発を誘致し、関電から数十億の寄付も引っ張り出した。森山さんが果たした役割は大きいですよ」

 と、高浜町役場の関係者が言う。

「実際、03年には地方自治への功績で瑞宝双光章を受章しましたし、原発関連で科学技術庁長官賞も受賞しています。ほかにも社会教育功労や自治功労といった受賞も多いのです」

 それらの活動は同時に、森山氏のネットワークが高浜町全体に構築されていくことを意味していた。

「たとえば、教師が解放同盟を悪く言えばすぐに“通報”が入り、糾弾する。関電社員もさまざまな情報を集めてくる。原発関連の工事のために業者が“森山詣で”をする。助役をやめて民間企業と仕事をするようになると、高浜原発絡みの仕事はほぼ意のままに動かせる状態になっていました。特定の企業の非常勤顧問となり、関電に原発関連事業を発注させる。この10年で売り上げが6倍以上も伸びたとされる企業もある。他方、地元で立ち上げた警備会社は原発関連の警備で潤っている。面白いことに、お孫さんなどは京大を出て検事となっています」

 こうして森山氏は「高浜原発のドン」となった。人柄や経歴についてさらに掘り下げるべく、部落解放同盟福井県連合会を訪れると、

「うちは一切関係ない。関係ないやん。(森山氏の在籍は)50年も前の話。いたのは1年、2年だけやで。あとは役場やったから。一切関係ない。それやのになんで来るんや。同和問題と結びつけたいんやろ」

 解放同盟に在籍していた事実のみの確認となったが、彼が上りつめる過程でまとった、そこはかとない不気味さは消えなかった。

「うちの人間はなるべく近寄らないようにしていた」

 と、関電の経営陣の一人だった男性が明かす。

「森山さんは自分から解放同盟という言葉を使うことはなかったですが、みんなそういう背景は知っていますから。“わしの言うこと聞かなかったら住民たきつけて原子力止めるぞ”と口にしたと報告を受けたことがあります。うちにとっては、それはもう、土下座してでもなにをしてでも辛抱しなければならない。ふだん彼は京都に住んでいて、京都の料亭にいる彼から呼ばれたら、うちの社員は何時でもどこからでも駆けつけてサイフ役を果たしていた。愛人の面倒をみろと言われればそうしたと思う」

 高価な金品ではなく、新米が届けられたときには、

「会社に相談したら“丁寧なお礼状を書いてください”と言われましたしね。今回、問題となっている件は、本当にどうしようもなかったんですよ。ある支店長などは、ほとんど会ったこともないのに就任祝いが届き、異動するまでずっと夏は昆布、冬は数の子が届いたそうです。1万円ほどのね。異動したら昆布と数の子が7千円、5千円と下がっていった。つまり、それだけ細かい情報を握られていたわけです」

 以上が本件の本質である。突如、浮上した関電と高浜原発の闇。“ドンの呪縛”の本当の怖ろしさが分かるのはこれからかもしれない。

週刊新潮 2019年10月10日号掲載

特集「『関電』が震え上がった『高浜原発のドン』呪縛の核心」より

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