ヤクザに銃撃されても死ななかったテコンドー協会「男・金原」会長の「血と骨」人生

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「ズバリ高利貸し」

 2008年から会長の座にある彼は、「『独裁的』と言われても突貫工事で(協会のJOC正加盟を)進めた」(08年3月26日付毎日新聞)と自ら認めているように、文字通り独裁的な「テコンドー界のドン」として君臨してきた。

「12年に、JOCを通じて協会のコーチに支払われる報酬に関して不正が明らかになりました。この報酬の3分の2は国庫補助金で賄われるものですが、金原氏は報酬を受け取ったコーチからその過半を『上納』させていたんです」

 と、「金原体制」に異を唱え、協会から独立した全日本テコンドー連盟の武田正博理事長が振り返る。

「我々は金原氏が私腹を肥やしていたのではないかとの疑念を持っていました。彼は韓国からコーチを招集するためなどに使ったと否定しましたが、納得できなかった。結局、金原氏は内閣府の調査をかわすためなのか、(より公共性の強い)公益社団法人認定を返上し、協会を一般社団法人にすると総会で決めてしまったんです。結局、疑惑はウヤムヤのまま終わりました」

 金原体制下で協会から除名された、樋口悦夫氏(熊本県テコンドー協会会長)が後を受ける。

「金原氏が力をつけて以降、テコンドーの全日本ジュニア選手権が彼の地元の長野県松本市で開かれることになった。その上、大会の公式パンフレットとは別に、地元企業からの広告を集めた『別冊』も勝手に作って金を集めていたことが問題になり、金原氏は始末書を書かされたこともあります。また、彼の息子はテコンドーの選手なんですが、息子の試合の時に審判のすぐ後ろに立って『威圧』したりしていました」

 まさに「独裁的」を地で行っていた様子の金原氏。如何にして彼のような人物が生み出されることになったのだろうか。

「在日一家の昇さんは、お父さんが土木作業員をやっていて、お母さんは彼が小学生の頃に亡くなっている。貧しい家庭で育ちました」

 と振り返るのは、金原氏が生まれ育った松本市に住む親族のひとりだ。

「高校時代は番長をやっていて、上京して喫茶店のボーイなどをやった。そこで、いろいろな人たちと知り合い、金融業のノウハウを覚えたんです」

 その後、松本市に戻った金原氏は金融業の他に、フィリピンパブや韓国クラブなどの水商売を手広く行う、地元では有名な「マキシムグループ」の代表の座に収まる。

「金融業と言いますが、まあね、ズバリ高利貸しですよ」(同)

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