再始動「山口真帆」の通信簿 被害者が“悪”にされる芸能界を変えた功績は大

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

被害者が“悪”というメディアのコントロール

 これまで、所属事務所と揉めたタレントが、表舞台から姿を消されるということは横行してきた。詳しくは拙著『芸能人はなぜ干されるのか?』を参照頂きたいが、事務所の意を受けたメディアが“ネガティブキャンペーン”を展開し、時には被害者が「悪」とされることもあった。たとえば1978年に起きた「安西マリア失踪事件」などはその典型だ。

 歌手の安西マリアは73年にリリースしたデビュー曲「涙の太陽」が50万枚以上売れたことで知られる歌手だが、その後はヒットに恵まれなかった。そんな安西が、予定されていたレコーディングに姿を現さず、元マネージャーとともに失踪してしまったのが78年4月8日のことだった。所属事務所の竹野エージェンシーの竹野博士社長は記者会見を行い、警察に捜索願いを出す事態となった。

 ところが、事件は思わぬ展開を見せた。安西は失踪から2週間ほどして警察署に現れ、竹野社長を暴行と強要の容疑で告訴したのである。安西によれば、元暴力団幹部だった竹野社長は、安西が遅刻したことに腹を立て、元マネージャーの頭を殴打し、怪我を負わせた。さらに安西の母親を呼び出し、「てめえら、ふざけんじゃねえぞ。俺は前科24犯だ。人をぶっ殺すことなんか、なんとも思っちゃいねえんだ」と脅迫。これに恐れをなした安西は、給料を減額する契約書に署名させられた。安西が失踪したのは社長から「コンクリート詰めにして海に沈めなければならない」と言われ、恐ろしくなったためだったという。

 安西の告訴により、79年、東京地裁は竹野社長に懲役10ヶ月、執行猶予3年の有罪判決を下した。ところが、事件の被害者であるはずの安西は芸能界引退に追い込まれ、一方、加害者の竹野社長は80年に奥村チヨの所属事務所である「フェニックス・ミュージック」を設立し、芸能界に復帰したのである。

 事件の初動段階では、バーニングプロダクションの周防郁雄社長が次のようなコメントを出していた。

「たとえ本人があらわれて謝罪しても、多くの人に迷惑をかけた今回の行動は許されるべきではない。まわりの人はマリアに引退を勧告すべきだし、レコード会社もすぐ新曲を発売中止にするべきです。厳しすぎるかもしれませんが、そうすることが芸能界の将来にとってもプラスになると思います」(『週刊平凡』78年4月27日号)

 芸能事務所の言うことを聞かず、弓を引いたタレントは業界から追放すべし――ということだ。このコメントを出した周防社長が、後に業界の実力者となり、「芸能界のドン」という異名で知られるようになったのはご存じの通りだ。

 当時のメディアはこの動きに追従。安西を批判し、竹野社長を擁護するような論調の記事が増えていき、“安西にこそ問題があり、竹野社長は悪くない”という世論誘導が巧妙に行われていったのである。

次ページ:芸能界の悪習を打ち砕いた“メディアの民主化”

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。