新幹線「のぞみ」車内殺人第1号・覚醒剤男が錯乱の末に……

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覚醒剤使用者

 奈良市南紀寺町に両親と暮らしていた中村は、高校卒業後に1年ほど勤めた地元の不動産会社を辞めた後、一時モデルの仕事もかじったりしながら、父が経営する商事会社を気まぐれ程度に手伝っていた。大人しい性格で、粗暴な質ではなかったというのが周囲の印象だが、鉄筋コンクリート3階建ての自宅の3階部分をそっくり自分の部屋にあてがってもらい、なすことなく、高級車に乗ってふらふら出かけていくという、気ままな暮らしぶりだった。

 供述によれば、中村が覚醒剤を便用し始めたのはこの2年ほど前で、事件前日にも、自宅で吸引したという。逮捕時、手持ちの鞄の中からは、微量の覚醒剤と大麻が発見された。新大阪駅から「のぞみ」に乗り込んだ中村は、就職活動をするため東京に向かったと説明しているが、数日前に京都で購入した凶器のサバイバルナイフをなぜ携帯していたかなど、行動の細部については、意味不明な言動が目立った。そのため起訴、公判を通じては、責任能力の有無が幾度となく争点となった。

 地裁沼津支部で、懲役15年の実刑判決が中村に下ったのは、事件から約2年後の7月末だ。事件当時、責任を問えない「心神喪失」状態ではなかったが、「心神耗弱」状態にあったことを酌んだ減刑判決であった。

 7歳の長男、5歳の長女を残された松野さんの妻恵子さんは、判決直後の会見で、

「人一人殺した事実に罪の軽重はないはず。主人が生きてきた40年は刑に服してほしかった」

 嗚咽を漏らして悔しさをにじませた。傍聴にやってくる彼女の中指にはいつも、夫がつけていた結婚指輪があった。

 またこの事件は、労災認定のあいまいな基準、柔軟さを欠く杓子定規な運用ぶりをも浮き彫りにすることとなった。刑事裁判の判決に先立ち、大宮労働基準監督署は平成6年7月までに妻恵子さんの申請に対し、労災を認めない決定を下していた。監督署は、労災認定の2本柱となる要件のひとつ、被災者が業務に従事している過程であったことは認めたが、一方の要件、業務と災害との因果関係については、

「松野さんの業務が犯罪を誘発する原因にはならない」

 と結論づけたのだ。

 同月24日付産経新聞朝刊は次のような見出しを打って、ことの経過、労基署側の解釈を伝えた。

「『のぞみ』殺人事件・労災不認定 適用要件、厳格とあいまい同居」

 無論、恵子さんは納得しなかった。不服の申し立てを受けた埼玉労災補償保険審査官が、原処分を覆す異例の労災認定に踏み切ったのは翌平成7年8月末である。

 ちなみにこの年3月に起きた、オウム真理教による地下鉄サリン事件においては、通勤途中だった被害者に対し、労災を適用する方針が早々に打ち出されていた。いずれも通勤・業務途中に偶発的に遭遇した事故という点では、共通していた。その意味では、決定に到る双方の対応を左右したのは、社会的な衝撃度という極めて「あいまい」な要素であったとも言えた。

 一方、恵子さん親子が原告となり、中村とその両親に2200万円の損害賠償を求めた民事訴訟は、平成8年6月になって和解が成立している。遺族側の主張はほぼ全面的に認められ、両親が息子の犯行について謝罪すること、請求額の一割強を両親が支払うことなどが条件に盛り込まれた。

 事件からほぼ3年、この和解をもって、事件処理の法的手続きから遺族が解放される見通しが、ようやくたったのである。

 ***

 新幹線に関わる殺傷事件としては、昭和63年9月、こだま車内で腹を刺されて鞄を盗まれた男性が、東京駅新幹線ホームで倒れているのを発見された例があった。男性は問もなく死亡した。同じ年の7月には、抗争中の暴力団組員同士が広島駅の新幹線ホームで短銃を乱射し、一般の利用者にけがを負わせていたが、走行中の車内での殺人事件は、昭和39年の運転開始以来これがはじめてであった。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年8月18日掲載

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