少年野球の現場で悩む父親ライターの正直な報告 「野球医学」のドクターに「全力投球」のリスクを学ぶ

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大人の知識不足が子どものケガを深刻化させる

 子どもが「肘が痛い」と言ってきたとき、大人は「軽めに投げておけ」と言ってしまいがちなところがある。

「大人が知識を持っていれば、対応が変わるはずなんです」と馬見塚さんは言う。

 だが勝利を求めると、完全に休ませたくない気持ちに大人はなるのだ。

「『勝つためにはケガもしょうがない』という言い方があります。これは医療に置き換えると、治すためには副作用も仕方がないという考え方に相当します。少年野球、いや日本の野球は主作用と副作用のバランスをとる発想が弱かったんです」(馬見塚さん)

 主作用とは、うまくなること、勝利を収めること。副作用はもちろんケガである。

 しかし全国大会につながる大会期間中に「肘が痛い」と言ってきたわが子を前に、“パパコーチ”はどんな態度をとるだろうか。

「チームに迷惑はかけられない」「軽めにだったら投げられるだろ」

 こう考える“パパコーチ”がいることを筆者は知っている。

「野球医学」に則れば、痛みがあった時点で即投球停止である。

 ところが子どもの活躍に期待し、勝利を求める大人、とりわけ親はそこで止められない。ここで活躍すれば将来も開けると思ったりもする——。

 だが「ロング・ターム・アスリート・デベロップメント(Long-Term Athlete Development、LTAD:長期選手育成)の考え方を知っておくべきでしょう」と馬見塚さんは言う。詳しくは『新版「野球医学」の教科書』にあるが、これから重視される考え方だと筆者は思う。

 さらに「親が元高校球児の子どもが肘をひどくしているケースが多いように感じます」とも馬見塚さんは明かしてくれた。子どもと朝夕の個人練習に精を出す“パパコーチ”もいるだろう。しかしやり過ぎで小学生で選手生命が終わる危険性もあるのだ。

時代の変化にマッチした指導とは

 佐々木投手の一件では、議論百出の感があるが、「将来のために、いまは全力投球しません」という意見がいつか少年野球でも認められるだろうか。いまのところ、たいていのチームで「そんなヤツいらねえ」と吐き捨てられそうだが——。

 筆者の心配に馬見塚さんは、ここでも日本社会のあり方と結びつけて新たな視点を提示する。「そんな話になるとしたら、基盤となる知識をもって自己決定することを、日本社会が尊重していないからです。言い換えると、個々の決定や多様性を許容していないからです。自己決定をすることで、内発的動機付け(モチベーション)が高まって成長するんです」と馬見塚さんは副産物を指摘する。

「でも個の決定を尊重せず、多様性を許容しない文化が少年野球にはまだありそうです」と筆者は愚痴めいた言い方をしてしまう。

 馬見塚さんは、ここで時代の変化を語る。

「ハラスメント排除に社会が動いているように、日本も少しずつ多様性や個の尊重を求めています。そしてこの動きは“体育会はダメ”と言っているに等しいんです。昭和の時代の体育会の主要構成員は野球でしょう。人数もいちばん多かったはずで、つまり体育会イコール野球部なんです」

 笑えない話である。ハラスメント排除=野球部排除の流れに気づいていないのが当の野球関係者だろう。それは罵声指導を続ける関係者を見ても明らかではないか。

 けれども“パパコーチ”である筆者は、選手に影響力を強く及ぼす指導者が変わることに、やはり期待する。

 では指導者の実際はどうか。地域の複数のチームを見渡し、事情を聞くと、“パパコーチ”が子どもの卒団後もチームに残って指導者となるケースが少なくないようである。

 現場を見る限り、経験論に立脚した指導のようだし、馬見塚さんが周知に努める「野球医学」の知見にはなじみがなさそうだ(だから「全力!」となる)。

 社会人としてハラスメントも多様性も個の尊重も認める人たちも、なぜか野球、こと少年野球の世界ではとりわけそれらと距離があるらしい。

 変化を遂げた社会と少年野球の間には乖離がある。その距離を認識し、自己決定や内発的動機付けによって立つ指導へと移行する。それこそいま、求められているのじゃないか。

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