ゆとり第1世代、就活中にリーマンショック発生…「受難の世代」31歳女性がUターンするまで

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 気鋭のライター・姫野桂さんが「女性の生きづらさ」について綴る連載「『普通の女子』になれなかった私へ」第11回。今回は、姫野さんと同い年で、一度は東京で就職したものの、現在はUターンしている女性にインタビューしました。彼女がUターンを決意した理由とは一体?

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AO入試で東京の難関私大に合格したものの

 先日、地元の宮崎で参列した結婚式で再会した地元の友人はUターン就職組だった。彼女は大学進学と共に上京。リーマンショックの影響でなかなか内定が出ず、苦労した挙げ句、ようやくとある接客業の職に就いたが、それは4大卒でなくとも入社できる企業であり、業務内容はアルバイトとほとんど変わらなかった。年収も低く、彼女にマッチした仕事ではなかったと思われる。その収入で都内で一人暮らしをすることは厳しい。彼女は実家が裕福であったため、生活費は一部仕送りしてもらっていたようだ。

 別のUターン就職した同級生も、東京在住中は生活が厳しく、親に家賃の一部を負担してもらっていた。かくいう私も、会社員時代は手取りが18万円しかなかったので苦しく、家賃を半分親に仕送りしてもらっている状態だった。自分にマッチした仕事であるライターに転身した今、ようやく経済的自立に成功し、親に頼らず生きていけるようになった。私は今のところ、Uターンする気はさらさらない。地元ではライターの仕事がほとんどないからだ。

 他にも一度は首都圏に出て就職し、何らかの理由でUターンした同年代の女性はいないのか気になり、今回、札幌市在住のマミさん(仮名・31歳)に取材を申し込んだ。取材当時彼女は「インプット期間」として東京に数日間滞在している最中で、普段から定期的に上京しているとのことだった。

 マミさんは現在、札幌でライターの仕事で生計を立てながら書店経営をしている。数年前に結婚もした

 マミさんは親の転勤で高校入学と同時に上京。もともと札幌の都心部に住んでいたものの、上京当初は「東京は渋谷や新宿など、遊ぶ場所がたくさんあって刺激的だった」と語る。

 私とマミさんは1987年生まれで同い年。ゆとり第1世代でもある。そして、大学受験では学力にとらわれないAO入試が注目され始め、何か秀でているものがあれば、論文や面接などの学力以外の試験で難関大学に入学できるチャンスも転がっていた。マミさんもAO入試に挑戦。

「私、本当に数字に弱くて、早い段階で書く仕事をして生きていこうと決めていました。だから大学も、一般入試では学力的に厳しいけど論文やプレゼン、英語の試験で受けられる大学を選びました。親戚や知人にメディア系の仕事の人が多く、自然と自分もメディア系の職に惹かれていたのだと思います」

 マミさんは無事、AO入試で東京の難関私立大学に合格。実を言うと、私も京都のとある難関私立大学のAO入試を受けた過去がある。自分の特技をまとめたエントリーシートのようなものと論文の試験だった覚えがあるが、残念ながら不合格だった。

 大学に進学したマミさんは入学早々、周りとの圧倒的な学力の差に気づく。私たちの世代は、学力以外を重視し始めたゆとり教育の被害者と言ってもいい。好きこのんでゆとりある教育を受けたわけではない。

「大学に入ってすぐ、学年全体の実力テストがあったのですが、学力で入学したわけではないのでボロボロで……。大学1年の夏の段階で、企業の1次試験で多く用いられているSPIなどのペーパーテストで勝負をするのは無理だと悟り、テレビ制作会社で放送作家のアシスタントのアルバイトを始めました。そこで経験を積んで、社会人になろうと決めたんです。

 最初のうちはサークルにも入っていましたが、遊んでいる暇はないと、大学の講義にもパソコンを持ち込んで後ろでこっそり番組制作のためのリサーチをしたり、空き時間に台本の原稿を書いたりしていました」

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